2018年3月1日

僕がF1エンジニアになるまで【学生就職活動編その①】

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F1の世界で仕事がしたい


F1好きなら誰しもが抱くであろうこの想い。そしてその想いを胸に就職活動に臨む学生であれば、必ず選択肢に入ってくるであろう企業があります。そう、ホンダです。大学院2年生の僕が就職活動をしていた2002年、ホンダはエンジンだけでなく車体開発にも乗り出していた時でした。
(引用元:ホンダ公式サイト)
当然、ホンダの内定を獲得すべく就職活動に取り組み始めるのですが、まさか自分がホンダと全く縁のないエンジニア生活を送ることになろうとは、その時は全く知る由もありませんでした。

空回りするF1への強い想い


僕が所属していた大学からホンダへと就職する場合、当時は一般公募での採用は認められておらず、大学からの推薦をもらう必要がありました。自動車好きから絶大な人気を誇るホンダということもあり、応募者数は推薦枠の人数を毎年上回っていました。そうなると学内選考会を経て推薦を勝ち取らなくてはなりません。当時の僕は文字通り"熱意だけ"の男であったため、その熱意をアピールすべく突拍子もない行動を取るのでした。その行動のアイデアを聞いた友人は『俺…お前ほどホンダへの熱い思い入れもないし、他の会社の推薦に応募するよ…。』とその友人の志望企業を変えさせてしまう程でした。

(引用元:慶應義塾大学公式サイト)
今となっては呆れるような行動でしたが、根拠のない大いなる自信を胸に意気揚々と選考会に臨みました。自分のF1への激しい情熱は選考を担当する教授にもきっと伝わるはずだろうし、驚くはずだ。そう信じて疑わず、とある筋から入手したホンダのロゴ入りARTAピットクルーシャツを身にまとい、カートレースで愛用していたアライ製ヘルメットGP-3K(ペイントはスタジオKOME)を携えて選考会に臨んだのでした。

結果、学内選考会は見事に落選。

当然の結果と言えば当然なのですが、ホンダとの面接に臨むことすら叶わず、かなり落ち込みました。ちなみに選考会での個別面接では、始まった直後から『君は他の企業の推薦にした方が良いのでは?』と言われる始末でしたので、大学側は学業成績の良くなかった僕に推薦を出すつもりは毛頭なかったようです。

(引用元:ホンダ公式サイト)
しかし、ここでF1への夢を諦めるわけにはいきません。当時F1をやっていた日本企業はホンダだけではありませんでした。そう、ブリヂストンです。ホンダへの未練を引きずり続け、選考会で面接を担当していた教授に強烈な悪態をつくなど、今思えば恐ろしくタチの悪い学生でしたが、どうにかこうにかブリヂストンへの推薦を大学からもらうことができました。

あまり詳しくは書きたくないのですが、F1に取り組む日本企業の就職面接を受ける場合、『F1』という言葉はどうもNGワードのようです。熱意があればあるほどF1以外の本来業務には見向きもしない人間…と思われてしまうのかも知れません。そして大人になり切れないガキだった自分はまたしても自信満々で小平の技術センターに乗り込んでいくのでした。

そして、ブリヂストンも見事に不合格。

実は不合格になるであろうことは、面接直後に自分では分かっていました。恐らくダメだろうな…と。というのも面接をして頂いた方の反感を買ってしまったのです。『F1』という言葉が日本企業で持つ意味を理解していなかったことが、面接でネガティブな要因となってしまったようでした。結果は結果として受け止めなくてはなりませんが、悲しくも残念であったのは、自分の夢に理解を示してくれる人が企業側に全くいなかったことでした。もちろん、企業側の採用に対する考えも理解はできますが、当時の僕にとって納得できることではありませんでした。

そんなやるせない気持ちを胸に就職活動を続けていくのですが、自由公募で応募した日産自動車の総合研究所の選考も最終面接で落とされ、内定のないまま、いよいよドン底まで突き落とされるのでした。


たった一つの内定に揺らぐ気持ち


F1に関わることのできる企業への入社の可能性が潰えたことで、もはや自動車系メーカーへの就職意欲を完全に失ってしまいました。そんな折、僕に内定を出してくれた企業が一社だけ現れるのです。それはF1とは全く以て関係のない、野村総合研究所(NRI)という会社でした。正直なところ書類選考を通過することも期待していなかったのですが、なぜかスルスルと選考が進み、気が付いたら内定を頂いていました。

(引用元:野村総合研究所公式サイト)
このNRIという会社、個性的という言葉がとても似合うと思います。というのも、内定後に知り合った内定者同期とは自分でもびっくりするくらい気が合ったのです。自分がどんなに素っ頓狂な行動を取っても、それを個性的と言って喜んでくれるのです。ちょっと普通じゃない自分の個性を受け入れてくれたのは、この時が人生で初めてだったかも知れません。

たった一つの内定でしたが、自分にとっては本当にありがたい内定だったのです。そして、そのありがたさに絆され、自分の心の中にあるF1へのこだわりが急速に薄れてしまったのでした。『モータースポーツは趣味である方が楽しいだろうし、仕事にしたら楽しめなくなりそうだ。』そう自分に思い込こませ、NRIにお世話になることを決意して就職活動を終わらせたのでした。

『これでいいはずだ。うん、それで間違いない。』そう思い込んでいた自分。もしもあの時、自分の周囲に自分の夢と想いを理解している人が一人もいなかったとしたら、その思い込みを抱えたままNRIに入社していたことでしょう。

しかし幸運なことにそうはなりませんでした。狂い掛けた歯車が、あることがきっかけで自分のありたい方向へと噛み合い始めるのです。

[続きはコチラ]


【目次】僕がF1エンジニアになるまで


01. はじめに

02. 学生就職活動編①
03. 学生就職活動編②

04. 三菱自動車時代①
05. 三菱自動車時代②
06. 三菱自動車時代③

07. 第一次転職活動編①
08. 第一次転職活動編②

09. 日産自動車時代編①
10. 日産自動車時代編②
11. 日産自動車時代編③

12. 第二次転職活動編①
13. 第二次転職活動編②
14. 第二次転職活動編③
15. 第二次転職活動編④

16. フランス修行編①
17. フランス修行編②

18. 第三次転職活動編①
19. 第三次転職活動編②

20. 神様のプレゼント編

21. 完結編①
22. 完結編②