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2019年3月10日

僕とF1とRCカーと【そしてF1へ】

[前回のブログ]
[重要なお知らせ(Important notification)]

タミヤグランプリでの成果


レース初出場からの1年は鳴かず飛ばずの成績でしたが、マシンの速さをブラッシュアップし、メンタリティの安定化に取り組んだ結果、少しずつ結果が伴うようになってきました。そして初レースからちょうど1年後に参戦したビギナーズクラス(2010年1月23日)。予選を総合1位で通過し、決勝ではAメイン2位表彰台を獲得!惜しくも優勝を逃しましたが、ようやくビギナーズクラスを卒業することができました。

ビギナーズクラスでポール獲得と準優勝したマシン
その後、中級クラスへの参戦を開始し、峠NE'X-グレード3クラス(2010年5月23日)では予選総合3位、決勝では何と初優勝(←人生初)を飾ることができました。その他のレースでも上位メインに入ることが多くなり、成長を実感できた一年になったのです。

余談ですが、好結果を出すことができた日は、その月の23日がなぜか多かったです。日産自動車の社員だったから?かも知れませんが、RCカーの趣味を始めてから僕にとって23日は何となく縁起の良い日になったようです(笑)。

初優勝した時のマシン(R35GT-R/TB03)
翌年の2011年8月21日に開催されたタミヤグランプリ全日本選手権の東京予選大会(出走台数は100台以上!)では、予選を11位で通過し、決勝では6位に入ることができました。この結果を受け、僕は所属するチーム内でのエースの称号を前エースの吉川氏から引き継ぐことになります(笑)。その後は、チームのエース(?)として2015年に活動を休止するまで継続してレースに参戦しました。

一つ心残りになっていること。

それは目標としていたタミヤ主催のワールドチャンピオン戦に届かなかったことです。この目標はいずれ達成したいと思っていますが、今はF1の世界での勝利を夢見ているので、この目標への再チャレンジはもうしばらく後のことになりそうです。

RCカーとの新たな想い出


社会人になってからRCカーの趣味を再開したことで、たくさんの想い出と仲間を作ることができました。タミヤグランプリには、東京大会、横浜大会だけでなく愛知大会と関西大会にも参加していたのですが、関西大会では地元の常連さんと仲良くなり、ピットをご一緒させて頂いたことも良い想い出です。今でも関西大会仲間の皆さんとはFacebookを通じて仲良くさせて頂いています。

真夏の関西大会も仲間のテントのおかげで快適!
共通の趣味を通じて仲間が出来ると、一緒にいる時間を本当に楽しく過ごすことができると思います。それは年齢、性別だけでなく、国籍や人種に区別なく共通しています。フランスで一人暮らしをしていた頃、僕の楽しみの一つはフランス人RCカー仲間との交流でした。予定のない週末になると、バスと徒歩でリヨン郊外のRCホビーショップのサーキットに通っていたのですが、通い続けるうちに彼らと仲良くなったのです。

Lyon郊外のホビーショップのサーキット
フランス語のできない僕のために、苦手な英語で会話をしてくれるフランス人の友人たち。完全な意思疎通はできませんでしたが、心温まる交流ができたと思います。共通の趣味があれば、言葉が分からなくともちゃんと仲良くなることができる。そんなことを肌で経験することができたのも良い想い出です。


進化しようとする気持ち


多くの人にとって、RCカーは趣味として楽しむものだと思います。もちろん、僕もそうなのですが、F1エンジニアになることを目指していた僕にとっては車両運動力学を勉強する良い教材でもありました。そのことは、以前のブログにも書きました。また、RCカーのようなクルマを使った趣味は、中学や高校で学ぶ物理法則を体感できるので、実践的な教育機会にもなると思います。

そして、RCカーの趣味を通じて改めて気付いたことがあります。それは、コンペティション(競争)を伴う趣味は『進化しようとする気持ち』を培えるということです。
    『もっと速く走らせられるようになりたい!』
    『世界選手権に出場できるような凄いドライバーになりたい!』
    『カッコいいボディをペイントできるようになりたい!』
このような気持ちを多くの人が持ったのではないでしょうか?しかも、誰かに言われたり指示されたワケでもないのに、その気持ちが自分の心から自然と生まれてきたはずです。これこそが、趣味を持つことの真の価値だと僕は考えています。

僕の場合、幼少期はミニ四駆のジャパンカップ、青年期はリッジレーサーで地元高円寺のレコードホルダー、成人期はレーシングカートのレース、全ての趣味においてコンペティションが関わっていました。得られた成果はさておき(汗)、『進化しようとする気持ち』を育むことができたと思います。

僕とF1とRCカーと


それが趣味の世界であったとしても、新しい環境に飛び込み、最初の一歩を踏み出すことはとても勇気のいることです。しかし、趣味の世界ではどんなに大きな失敗をしても取り返しのつかないことはありません。プロとしての成果を求められない分、思い切ったチャレンジができるのも趣味の世界です。

僕はRCカーという趣味の世界を通じて様々なトライ&エラーを繰り返し、エンジニアとしての知見を広げてきました。その知見と『進化しようとする気持ち』はF1エンジニアを目指していた僕にとって、大いに役立ってくれました。だから、声を大にして言わせてください。

『RCカーは時として人生を変える力がある。』

僕の成長を支えてくれたRCカーの世界。その世界で、これからもたくさんの方と出会えることを楽しみにしています!

[おわり]

おまけ情報


F1チームで働いて気付いたのですが、自分の所属グループではRCカーを趣味としていたエンジニアが結構います。今後、RCカー仲間をF1チーム内でも募り、ウラF1グランプリの開催を企てております。

2019年2月23日

僕とF1とRCカーと【精神鍛錬とタイヤ】

[前回のブログ]
[重要なお知らせ(Important notification)]


立ちはだかったカベとは?


悔しい結果で初レースを終えてしまった僕は、再び練習に励む日々を送っていました。そして『ライバルに負けない速さをもつクルマ』はどうやったら実現できるか?そんなことばかりを考えていました。

この時の僕は日産自動車のエンジニアだったのですが、厚木市森の里青山にあるオフィスでは車両運動性能に関わる制御システムの開発、追浜や陸別のテストコースでは走行実験に勤しむ日々でした。一方、仕事後や週末になるとRCカーの改良メンテナンスや、ドライビングトレーニング。ほぼ毎日が『クルマの運動性能開発』を軸にして生活が回っていたのです。楽しくないワケがありません(笑)。

厚木レジャーランドでの練習風景
こんな日々を送っていれば、必ず成果が出るはず…そう考えていたのですが、この考えを嘲笑うかのようにレースでは結果が伴いませんでした。愛車のTB03も少しずつアップデートを繰り返したことで速さを増しましたし、ホームコースである厚木レジャーランドではいい走りが出来ていました。しかし、レースとなると全く本領が発揮できないのです。

『自分には何かが足りていない…。』

そう強く感じるようになり、改めて自分の課題を振り返ることにしました。

メンタリティの強化


意外に思うかも知れませんが、RCカーでのレースと言えどもメンタリティが結果を大きく左右すると僕は考えています。誤解を恐れずに極端に言えば、それなりに走るクルマと強靭なメンタリティがありさえすれば、ローカルレースで良い結果を出すことはそう難しいことではないと思います。

伝説的な実績を誇る広坂正美氏など世界的なトップドライバーの方々には、想像もつかないような驚異的なメンタリティが備わっていると考えていますが、そのレベルの高さはIFMAR世界選手権のレースを見れば実感することができます。

この決勝レースは5分間のタイムレース(周回数とその周回に要したタイムで順位を決定)で行われていますが、参加しているドライバーたちは驚異的なスピードのRCカーを操りつつ僅差の壮絶なバトルを繰り広げています。


ちなみにタミヤグランプリを例に挙げると予選レースは2分間、決勝レースは3分間のタイムレースで行われるのですが、たったの2~3分間であっても、繊細なコントロールが求められるRCカーをミスなくドライビングし続けることは想像以上に難しいのです。

いつもレースでは緊張して舞い上がってしまい、とにかく本番で結果を出せなかった僕でしたが、RCカーはドライバーとして(人としても?)精神的強さが足りていないことを改めて気付かせてくれたのです。その気付きは遅きに失した感が否めませんが(汗)、このメンタリティの弱さを克服するべく、あることを実践するようになりました。

それは練習と本番のレースでおまじないのような言葉を必ず口ずさむことです。

[練習時]
『これは本番のレースだぞ。集中して行こう!』

[レース本番]
『ここはいつもの厚木レジャランだ。いつもの練習どおり行こう!』

と、つぶやくようにしたのです。大げさなことでもなく、至極単純なことですが…(汗)。

正直なところ、このようなつぶやきがどれほど効果があったかは分かりませんし、メンタリティがタフになった実感はありません。おまけにレース直前に操縦台の後ろでブツブツとつぶやいていたので、他のドライバーに危ない人とも思われていたかも知れません…。

一種の自己暗示?のような取り組みですが、この言葉をつぶやくようになってからは次第にミスも減り、仮にミスしてもそこから崩れることなく持ち直せるようになった……ような気がします(笑)。


タイヤの選定とセットアップ


F1に限らず、タイヤはレーシングカーにとって最重要コンポーネントと言っても過言ではありません。実際のクルマよりも小さいRCカーにおいても同様で、タイヤの選定とセットアップは勝負を決する大きなファクターになります。

とても悩ましかったのは、タイヤ選定に幅のあるレースに参戦する時です。当日の温度や湿度によってタイヤのグリップレベルは変化しますし、タミヤグランプリ関西大会などは仮設サーキットの設置場所が必ずしもいつも同じではなく、タイヤ選定はいつも悩みの種でした。いかにして路面コンディションに最適なタイヤでレースに臨めるか?これが僕にとっては最大の課題でした。特にタミヤグランプリでは練習走行が一回しかないため、複数のタイヤを予選前にチェックすることはほぼ不可能なのです。

タミヤ製ミディアムナロー・タイプCタイヤ
また、日産自動車やF1チームでの仕事とは違い、RCカーでは数多くのセンサーを搭載して車両状態を計測することは基本的にできません。つまり、実験的に評価する以外に車両特性を評価する手段がないのです。しかもその評価はラップタイムとドライバー(僕本人)による主観評価がメインです。エンジニアとしては定量化できないことはとても歯がゆいのですが、『仮説』と『検証』、『帰納』と『演繹』を重ねながら、地道にタイヤの選定基準を自分なりに築き上げていきました。

ここでちょっと余談です。だいぶ昔のことですが、秋葉原にあるRCショップの有名店員さん(当時)Yさんによるタイヤセットアップの記事をRC雑誌で読みました。タイヤインナーの僅かな形状の違いに応じて、挿入時の向きをそろえるのが良いそうです。

その記事を初めて読んだ時は『ええ?!ホントに差が出るの?!』と思いましたが、こういった細かな違いに気付き、工夫することが速さに繋がるということを学ばせてもらいました。

積み重ねた成果は…


2009年にRCカーのレースに参戦するようになり、主にタミヤグランプリ、たまに京商本社でのミニッツレースに参戦し続けた結果、少しずつ成長を実感できるようになってきました。


上の動画は2012年11月に参加したタミグラ関西大会での走行の様子です。予選では波に乗れず、Cメインとなってしまいましたが、決勝では冷静に周囲を見てペースコントロールできるようになっていました。一回大きなミスをしますが(笑)。

この他、タミグラ東京大会でもそれなりの結果を残せるようになっていたのですが、次回のブログ更新(このテーマの最終回!)では、僕がRCカーを通じて学んだこと、嬉しかった想い出をまとめたいと思います。

[つづきはコチラ]

2019年1月30日

僕とF1とRCカーと【いざレースの世界へ!】

[前回のブログ]
[重要なお知らせ(Important notification)]


説明書通りに、説明書以上に、


いざRCカーのレースに参加すると言っても、すぐに結果が出るほど簡単な話ではありません。まずはマシンをしっかりと準備することが肝要です。F1の世界でも、マシンがファクトリーを出るまでにどれほど仕事をカンペキにやってこれたか?これがとても大切です。それはRCカーの世界でも同じ。TB03を買い、RCカーを始めたばかりの頃の僕はカンペキな仕事をすべく、説明書通りに丁寧に組み上げていました。そう、文字通り説明書通りに。

この時の僕はまだ気づいていなかったのですが、説明書通りでは速さの追求という点では不十分なのです。マシンの真のポテンシャルを引き出すには、説明書以上に組み上げることがとても重要になります。説明書はあくまでも『パーツを組み上げてマシンを形にする』ためのガイドライン。その指示に従えば、誰でも簡単にRCカーを組み上げることができるのですが、そこにちょっとした秘密があります。

TB04 PROIIの説明書
実は工業製品でもあるRCカーの部品寸法には必ずばらつき(公差)があるのですが、公差をちゃんと考慮して設計しておかないと部品同士が干渉してしまい、キレイに組み上がらなくなってしまうのです。特にRCカーの部品の多くを構成するプラスチック部品は、金属に比べると許容公差はどうしても大きくなってしまいます。

このような公差による部品間干渉を避けるため、RCカーに限らず全ての工業製品は公差が吸収されるよう設計されています。RCカーを説明書通りにそのまま組み立てると、出来上がり時にガタつきがあるのはこのためです。このようなガタつきがあるとマシン本来の速さが引き出されなくなってしまうため、しっかりと補正する必要があるのです。

RCカーのアップライト部分は公差管理が特に重要
説明書通りにマシンを組み上げるのは基本。説明書以上に細心の気配りと工夫でマシンを組み上げることは、勝利を目指す上での基本。そんなことをRCカーから学びました。

ひたすら練習あるのみ!


マシンの準備を終えた僕はすぐに練習に励む日々を送ります。当時、日産自動車に勤務していた僕は厚木市に住んでいましたが、自宅のすぐ近くには厚木レジャーランド(通称レジャラン)がありました。幸運にも身近にRCカーを走らせられる環境に恵まれた僕は、週末だけでなく平日の仕事終わりにも練習に励むことになります。

しかし、始めたばかりの頃は運転スキル云々の前に、そもそもマシンが真っ直ぐ走ってくれませんでした(汗)。トリム調整だけでなくフロントのアライメントをきっちりと出せるようになることも大切です。走っては調整、調整しては走っての繰り返しでした。おまけに腕が未熟だったために、しょっちゅうフロントアップライトの部品を壊していました。

ホームコースだった厚木レジャーランド
しかし、人間は地道に頑張りさえすれば成長できるようです。半年あたりが経過した頃には、ぶつからずにそれなりのペースで走れるようになり、走らせることがどんどん楽しくなってきました。そして、僕の悪いクセがひょっこり顔をだしてくるのです。

『ん?もうレースに出てもイケるんじゃね?』

そんなことを確信(勘違いした?)僕は、ニッサンTKFのリーダーでもある吉川氏の『もう大丈夫ですよ!出ちゃいましょうよ~(ニヤリ)』という言葉を受け入れ、意を決してタミヤグランプリのビギナーズクラスにエントリーしたのです。エントリーした時の僕は、恐れ多くも『Aメイン入り(トップ10)は最低でも達成できるでしょー』と安易に考えていたのですが…果たして…。


いざレースへ!が、しかし…


人生で初めてエントリーしたRCカーのレースは2009年3月22日に開催されたタミヤグランプリin東京のビギナーズクラス。ビギナーズクラスとは言え、Aメインに入ってくる参加者はそれなりに速さがありますし、どこまで自分が通用するのか?それを確かめる良い機会でした。

レース当日は早朝に神奈川を出発し、眠い目をこすりながら浅草ROXの会場を目指します。現地でニッサンTKFのチームメンバーと合流し、大会会場が開場されると同時にすぐにピットエリアを設営します。設営後は落ち着く暇もなく車検の準備。この時が最も忙しい時間帯なのですが、この時間帯を落ち着いて乗り切ることがとても大切です。僕の経験では、この時間帯に余裕がない時はレースの結果が良かった例がありません(汗)。

初出場のタミグラでのピットの様子
そしていよいよ各クラス2分間の予選レースが始まります。高鳴る鼓動、汗ばむ手のひら。カートでのレース経験があるとは言え、めちゃくちゃ緊張したことを今でも鮮明に覚えています。そしてあっという間に2回の予選レースが終わりました。

結果は61台中38位でDメイン1位スタート…。Aメインなど遥かに及ばないポジション…。せめてDメインでトップフィニッシュを飾りたいところですが、迎えた決勝レースではミスを連発して2位フィニッシュ。最終的に総合39位という惨憺たる結果に終わってしまったのです。

追い求めるべきもの。


ビギナーズクラスですら、望みうる結果が得られなかったことで本当に落ち込みましたし、心底くやしかったです。たかが趣味かも知れませんが、自分が好きなことで敗北を喫することは、僕にとっては耐え難い屈辱でしかありません(今は仕事でそれを強烈に味わっていますが…汗)。

しかし、どうすれば結果が出るようになるのか?当時の僕にはドライビングスキルだけでなく様々な要素が欠けていたのです。でも、やるからには勝ちたい。そう決意を固めた僕は、欠けている要素を追い求め、練習に勤しむ日々へと再び突入していくことになるのです。

本来は車両運動力学を実践する場として選んだRCカーの世界。気が付けばどっぷりとその世界の虜になっていました(笑)。

[つづきはコチラ]

2019年1月21日

僕とF1とRCカーと【再会から復帰へ】

[前回のブログ]
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意外な場所での再会


幼少時代以来、RCカーから離れた生活をずっと続けていましたが、あることがきっかけでRCカーと再会することになります。日産自動車に転職し、2年目を迎えた2008年のことでした。当時は喫煙者だった僕が喫煙所まで足を運んだ時のことです。喫煙所近くの窓際のテーブルになぜかRCカーが飾られていたのです。

『ん?こんなところにRCカーが置いてあるぞ?!』

不思議に思いつつも、そのRCカーに僕の目が奪われたのは言うまでもありません(笑)。久しぶりに見るRCカー。驚いたのは昔のRCカーと比べると圧倒的に精巧な作りになっていたことです。実際のレーシングカーとほぼ同じ形式のサスペンション、ベルト駆動による4WDシステム、実車さながらの本格的な進化に一発で惚れてしまいました。

現在のマシンはタミヤのTB04
興奮しつつRCカーを観察しているとRCカーの傍らにメモが置いてあることに気付きました。そこには『一緒にRCカーでレースやりませんか?』と書いてありました。それを読んだ瞬間に僕の心は決まっていました。

『よし、RCカーのレースに出るぞ!』 と。

この時、職場にRCカーを展示してメンバーを募集していたのは、現在はモータージャーナリストとしてのキャリアを目指している 吉川賢一氏。実際のRCカーを職場に飾ってしまうという吉川氏の大胆不敵な作戦(策略?!)に見事に乗せられてしまった僕は、吉川氏のデスクをすぐに訪問し『RCカーのレース、一緒にやらせてください!』と伝えるのです。

『何か暑苦しい人が来ちゃったぞ…』と吉川氏が思ったかどうかは定かではありませんが(汗)、吉川氏がリーダーを勤める社内RCサークル『ニッサンTKF』に加入させてもらうことになりました。ちなみに吉川氏とはチーム内エースの座を争う仲となるのですが、最終的には僕がチーム内のエースの座を奪う?!ことになります。(え?)

RCカー復帰を決めた理由


当時の僕が所属していたのは日産自動車の走行制御開発部・統合制御開発チーム。そのチームでの仕事は、技術バックグラウンドとして"車両運動力学"に精通していることが求められます。神奈川工科大学の名誉教授・阿部正人先生の著書『車両運動と制御』や、上司が自動車技術会で発表した論文で勉強はしていたのですが、その理論を実践的に学ぶ機会が少なく、『何か良い機会がないものか…』と、その頃の僕は悩んでいたのです。

タミヤTB04のフロントサスペンション
大学時代から続けていたレーシングカートは車両運動力学を学ぶのに良い教材ではあるものの、サスペンション機構を持たないこと、運動メカニズムがちょっと特殊であること、そして経済的・時間的な制約のため、当時の僕にとってはベストな教材とは言えませんでした。

そんな時に再会したのが精巧さを増したRCカーだったのです。現代のRCカー(特にツーリングカーのカテゴリ)は実車さながらのセットアップ変更が可能で、シャシー系だけでも次のようなセットアップ項目があります。

  • スプリング剛性
  • ダンパー減衰力
  • アンチロールバー剛性
  • トレッド幅
  • ホイールベース
  • 前後車高
  • キャスター角
  • アッカーマンジオメトリ
  • キャンバー角
  • キャンバーゲイン
  • タイヤのコンパウンドと剛性

この他、パワートレイン系などを数え上げると枚挙に暇がありませんが、RCカーの良い点はセットアップ変更の手間が実車に比べて圧倒的に小さく済むことです。RCカーを速くするためにどうすれば良いのか?自分なりに仮説を立て、セットアップを変更し、仮説検証のために走行する。こんな繰り返しが気軽にできるわけです。

このように、RCカーが車両運動力学を実践できる最高の教材であったこと。これがRCカーへの回帰を決めた最大の理由です。


復帰時の愛車選び


職場に吉川氏が展示していたのは彼の愛車タミヤTA05(ベルト駆動4WD)で、優れたハンドリング性能で評判のシャシーです。しかし、ベルト駆動4WDがどうも好きになれなかった僕は、異なる駆動方式のシャシーであるTB03(シャフト駆動4WD)を選びました。ライバルとなるであろう吉川氏と同じクルマでは面白くないと思ったのも理由の一つですが、実車に近い駆動方式に美しさを感じたのもTB03を選ぶ動機となりました。

(引用元:タミヤ公式サイト)
RCカーのシャシーには駆動方式の違いに加え、バッテリーやモーターなどの搭載位置にも違いがあります。このため、車両特性もシャシー毎に大きく違ってきます。『どう違うのか気になるなぁ~』と気になって仕方がなかった僕は、最終的にTB03だけでなくTA05、2輪駆動のFF03やM06にも手を出すことになるのですが(汗)、RCカーを始めるに当たっては好みの駆動方式から選んでみると楽しいかも知れません。

また、ツーリングカーのカテゴリの他にも、F1やバギーなどのカテゴリもあります。意外かも知れませんが、僕はRCカーでF1シャシーを走らせたことがなく未知の領域です。現在、幸運なことにホンモノのF1を仕事で走らせているので、今のところは手を出すつもりはありませんが(汗)、いずれはRCカーでもF1の世界に足を踏み入れてみたいと思っています。

憧れのRCカーのレース活動へ!


何はともあれ、TB03でツーリングカーのカテゴリを選んだ僕は、いよいよRCカーレースの世界へ初めて足を踏み入れることになります。しかし…ずっと憧れていたRCカーの世界では、想像していた以上のカベにぶち当たり、悔しい思いをすることになろうとは当時の僕には知る由もありませんでした…。

次回のブログでは、どんなカベにぶち当たったのか?その壁をどのように乗り越えようとしたのかを紹介したいと思います。次回更新もどうぞお楽しみに!

[つづきはコチラ]

2018年12月23日

僕とF1とRCカーと【別れと新たな出会い編】

[前回のブログ]


RCカーとの別れ


幼少の頃に出会ったRCカーでしたが、その後RCカーをずっと楽しんでいたワケではありませんでした。小学生となり、おもちゃのRCカーを卒業した僕は、父が作った電動RC(恐らくタミヤのポルシェ934ターボRSR)を家の前でしょっちゅう走らせてはいたものの、少なからずお金のかかる趣味だったことや、自然と触れ合う機会を与えたいという父の方針もあり、小学校3年生にもなるとRCカーから遠ざかってしまいました。

(引用元:タミヤ公式サイト)

自然と触れ合うという目的で、父は家族をアウトドアキャンプに連れ出すのですが、そのアウトドアが一般的なキャンプよりも少々サバイバルなキャンプだったため『できれば行きたくないなー』とか『RCカーやMSXのゲームで遊びたいなー』と思ってばかりいました。

そんな僕に、追い打ちを掛けるような事態が待ち受けていました。親の教育方針で中学受験をすることになったのです。受験塾にも通うことになり、自分の意思でRCカーを楽しむ時間はなくなっていきました。そして、そんな状況が続いた結果、僕のアタマの中からRCカーの存在は徐々に消え去っていったのです。


ミニ四駆との出会い


受験勉強が始まるとともに、RCカーから遠ざかった生活を過ごすことになるのですが、そんな僕に身近で手軽に楽しめるモノが現れます。そう、それがミニ四駆でした。子供のお小遣いでも十分に楽しめますし、工夫を凝らせば凝らすほどマシンが速くなることもあって、受験勉強そっちのけでドンドンとのめり込んで行きました。

時代はまさにドラゴン三兄弟やダッシュ四駆郎!の全盛期。塾に通いつつも、アタマの中はサンダードラゴンやダッシュ1号エンペラーのことばかり。こんな僕にとって、受験勉強よりもミニ四駆をいじる時間の方が圧倒的に幸せだったのは言うまでもありません(笑)。ミニ四駆に狂酔していた僕は、1988年に初開催されたミニ四駆ジャパンカップにも参戦します。当時のジャパンカップに参加するには整理券が必要だったのですが、平日の配布だったために、母に懇願して取りに行ってもらったことを今でも良く覚えています。

30年前にも会場で先行販売されたエンペラーを買っていた…

しかし、中学受験の本番が近づくにつれ、そのミニ四駆からも遠ざかってしまうことになります。両親は僕からミニ四駆やテレビを取り上げ、自分の好きなものを自由に楽しむことができない時代が始まりました。中学受験を経験したことはその後の人生においてプラスとなったことは間違いありませんが、一方で好きなことに没頭できないことを僕はとてもツラく感じていました。

そのことが原因とは言いませんが(汗)、小学生の僕は中学受験へのモチベーションを十分に上げることができず、結果として中学受験において全敗するという結果に直面します。どうも僕は人生を器用に進めることができない男らしく、中学受験を含む、その後の全ての受験、つまり高校、大学、大学院の受験を経験することになります…。

今思い返せば、一時的にでも良いから必死に勉強し、大学付属の中学・高校に進学しておけば良かったなーと思います。そうすれば趣味に没頭する時間をもっと作ることができたはずですが、まさに後悔先に立たず。今となっては、長きに渡る受験生活が僕のメンタルを少しはタフにしてくれた?!と前向きに捉えるようにしています(笑)。


レーシングカートとの出会い


趣味の時間が自分の意志で確保できるようになったのは大学への入学後でした。大学生にもなれば、時間をどう使うのかは基本的には本人次第ですし、アルバイトでお金も稼ぐこともできます。そこで始めることにしたのが…RCカー…ではなく、レーシングカートでした。
実は1990年のF1日本GP以降、僕が胸に抱いていた夢はF1ドライバーになることだったのです。大学生になり、時間とお金を作ることができるようになったことで、ずっと憧れていたレーシングカートの世界に足を踏み入れることにしたのです。

(引用元:ヤマハ発動機公式サイト)

最初にお世話になったカートショップはTOM'Sの社屋の一角に拠点を構えていたTOM'S Karting。そこで初めて買ったカートフレームはFirstのMonzaで、エンジンは定番のKT100SDでした。1998年の2月にカートを購入し、その3ヶ月後には新東京サーキットで開催されたカートレース(YSOクラス)への初参戦を果たします。

残念ながら現在は自分のカートを所有していませんが、今も趣味として大いに楽しんでいます。ドライビングスキルと体力維持には最適なスポーツですし、いずれはFIA-F4にスポット参戦するという密かな野望も持っています。もちろん、インディペンデント枠ではなく、若手ドライバーたちにガチ勝負を挑むつもりですが(笑)。

RCカーへの回帰


大学時代から始まったレーシングカートのレース活動も、社会人として多忙に働く頃になると細々としたものになってきました。そんな中、あることがキッカケでRCカーへと回帰することになります。その回帰によって、幼少の頃には気づくことのなかったRCカーの素晴らしさに気付くことになるのです。次回のブログでは、RCカーへと回帰することになったキッカケ、僕が気付いたRCカーの素晴らしさ、その素晴らしさから学んだことを振り返ります。

[つづきはコチラ]


2018年11月25日

僕とF1とRCカーと【出会い編】


本能とRCカー


人は生まれて間もない頃から、ある行動をするようになります。

それは性格や性別に関係なく全ての人に共通する行動です。その行動が世界を学ぼうとする探求心によるものなのか、それとも自分を脅かす存在への警戒心によるものなのか、その行動のモチベーションの源泉が何であるのか僕には分かりません。ただ、確実に言えることは、その行動はとても本能的なものであり、大人に成長した後でも続くということです。

その行動とは『動くモノを見つめる』ことです。

生まれたばかりの赤ちゃんは視界が鮮明でないそうですが、視界に動くものを見つければ、それを目で追い続けます。さらに自我が形成され、自分に手があることを学ぶと、動くものに手を伸ばして触れようとします。それが一体何なのか?果たしてそれは自らが御すことが可能なのか?それを知ろうとする欲求に駆られるのです。

しかし、人が成長し学校や社会で生きるようになると、その本能はマナーや社会性の下で抑制されることになります。このようにして本能を抑えつけてしまうことは(たとえそれが無意識的であったとしても)、少なからずストレスを伴うでしょう。社会で生きる一員として、このような本能の抑えつけが少なからず必要であるのは言うまでもありませんが、そのストレスを発散したいという欲求を強く持つ人がいても不思議ではありません。

そんな欲求を満たすのに最適なもの。それが『モータースポーツ』です。

一般にモータースポーツと言えば、サーキットでレーシングカーを走らせる競技のことを意味しますが、今回のブログテーマである『RCカー』によるレースも立派なモータースポーツです。RCカーの最大の魅力は『動くモノを見つめる』という欲求を満たせるだけでなく、その動くモノを自らコントロールできることでしょう。また、実車でのモータースポーツに比べ、圧倒的に安価に楽しめることも魅力の一つです。

現在の愛車TB04PRO(引用元:タミヤ公式サイト)
かくいう自分もRCカーの魅力に虜になった一人なのですが、僕がF1エンジニアとなる道程でRCカーという趣味が多大な影響を与えたことは間違いありません。今回のブログテーマでは、僕とRCカーの歴史、そしてRCカーから学んだことを振り返ってみたいと思います。


RCカーとの出会い


僕が初めてRCカーと出会ったのは、残っている写真を確認する限りでは2歳になった頃のようです。下の写真は1979年11月4日に撮影されたもので、撮影したであろう父に向かって嬉しそうな笑みを浮かべています。

1979年11月4日の僕(満2歳)
写真が撮影された日から推察すると、このRCカーは父が僕に誕生日プレゼントとして買い与えてくれたようです。このRCカーは伝説のラリーカーとして名高いランチア・ストラトス。その斬新なデザインがとても印象に残っています。
確証はないのですが、どうやらこのRCカーはニッコー製のようです。プロポの前進スイッチをONにするとずっと前進し続け、ステアリングは当時としては珍しい(?)ホイーラータイプのプロポでした。


生まれて初めて与えてもらったRCカーは決して本格的なものではありませんでしたが、僕にとっては大切な宝物でした。結局、ボロボロになって壊れるまで夢中になって遊びつくしました。今となってはもう手元にありませんが、RCカー遊びは『動くモノ大好き!』という僕の本能的な欲求を満たしただけでなく、未来に向けて夢の種を僕の心に蒔いてくれていたように思います。




僕と父とRCと


『この親にしてこの子ありき』こんな言葉が、僕と父との関係性を表すのにぴったりな表現かも知れません。父も僕と同じようにRCに魅せられた一人でした。ただ、僕と決定的に違ったのは、父のカバーするRCの範囲が僕よりも広かったことでしょう。僕はRCカーのみでしたが、父の場合、RCカーは片手間で飛行機、グライダー、ヘリコプターなどの空モノがメインだったのです。

父の部屋は雑誌『ラジコン技術』で溢れ、休日には自作機体の設計・製作に勤しんでいました。父は大学で電気電子工学を専攻していましたが、畑違いの航空工学も独学で修得してしまいました。実際には比べようもないのですが、父のRC飛行機への情熱は僕のRCカーへの情熱を大きく上回っていたと思います。なぜなら、父は最終的にラジコン技術の編集部から寄稿を依頼される程だったからです。

ずっと前にその記事を見せてもらったことがあるのですが、本名ではなく母の旧姓と自分の名前を組み合わせたペンネーム(工藤勉)で寄稿されていました。父によれば、当時勤務していた会社(富士通研究所)に寄稿(副業?!)をしていることを知られたくなかったからだそうです(笑)。

ラジコン技術(引用元:電波社公式サイト)
僕が幼少の頃、家族は東京都町田市にある鶴川団地に住んでいました。当時、団地の近くには見晴らしの良い裏山のような場所がたくさんあり、RC飛行機を気軽に飛ばすことができました。休日になると、父は僕を連れてその裏山に行き、自らが設計したRC飛行機のテスト飛行に勤しむのですが、空を飛ぶ機体を真剣な眼差しで見上げる父の横顔(でもやっぱり口は開いていたと思う)、エンジンからの排気ガスの匂いが今でも記憶に残っています。

改めて振り返ってみると、父もゼロから何かを創造することが大好きな人でした。それは趣味だけでなく、仕事でも同じだったようです。富士通研究所での仕事に満足できなかった父は、富士通研究所を退職し独立します。決して意識していたワケではないのですが、僕も日産自動車を飛び出し、フランスでの修行を経てF1チームに加入するなど、僕も父とどことなく似たような人生を送っているようにも思います。『この親にしてこの子ありき』とは本当によく言ったものですね(笑)。

ちなみに余談ですが、現在の父はすでに仕事を引退して実家でのんびりしています。そして父の会社(コーダ電子株式会社)は親不孝者の僕に代わり実の姉が継いでくれています(笑)。


RCとのしばしの別れ


意外かも知れませんが、ずっとRCを楽しむ環境が続いていたわけではありませんでした。それは父の興味が全く異なる趣味へと向いてしまったことが原因でした。父に何があったのかは知りませんが、急にアウトドアライフへと目覚めてしまったのです(汗)。父にとって僕のRCカーへの想いなどはどこ吹く風。

しかし、自分のお小遣いでRCカーを楽しむことは難しく、タミヤRCカーグランプリに出場するなど夢のまた夢。結局、長きに渡ってRCカーとは縁のない生活を送ることになるのです。次回のブログでは、25年にも及ぶ僕のRCカー黎明期にどんなことがあったのか?そして、RCカーに代わり僕の本能的欲求を満たしてくれる、さらに小さなモータースポーツ(そうアレです!)との出会いを振り返ります。

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