2024年1月30日

僕がF1エンジニアになってから【後方グリッドからのスタート】

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F1エンジニアとしての始まり


2016年12月14日。僕はシルバーストーンにあるフォースインディアF1チームの門をくぐりました。過去ブログで紹介した通り、そこに至るまでは長く難しい道程でしたが、ずっと目指してきたF1エンジニアとしてようやくスタート地点に辿り着くことが出来ました。

正直、意気揚々とF1チームでのキャリアをスタートした訳では決してなく、自信ゼロでのスタートでした。また、39歳という年齢で掴んだ遅咲きのチャンスでしたし、同年代はすでに僕よりも上の役職ですでにマネジメントサイドで活躍しているだけに、今後のキャリアを考えると決してのんびりとはしていられません。

Sergio Perez@Monaco(引用元:Force India公式サイト)
もちろん、高精度システムシミュレーションモデル開発の経験という強みがあったからこそ獲得したオファーでしたが、まずは最新のF1マシンの技術に精通すること。そのことにも注力しながらも、いかにして自分のキャリアを伸ばしていけるか?そんな”勝負”が始まりました。


Vehicle Science Engineerとその仕事


この役職名はF1業界ではちょっと珍しい役職名かも知れませんね。Vehicle Dynamics Engineerとすることが一般的なのですが、そこをあえてDynamicsという言葉ではなくScienceとする点はフォースインディアF1チームらしさを感じた部分でもありました。というのも、かつては400名ちょっとの小規模F1チームだったので、トップチームと違い仕事の守備範囲が広かったのです。そういった背景もあったためなのか、車両運動だけの仕事に従事するのではなく『細かいこと言わずに幅広くF1をサイエンスとして楽しもうぜ!』といった感じの心意気があったのかも?…知れません(笑)。

そしてこのVehicle Science Engineerが、僕が契約したポジションでした。担当業務はリアサスペンションのシステムモデリング、そしてそのモデルを使ったリアサスペンションの減衰特性の数値化とラップタイムシミュレーションモデル用の減衰特性データの導入です。そして、この業務に加えて金曜日のFP1とFP2のファクトリーでのレースサポートを担当しました。ちなみにその役職名はチーム名変更の影響を受けてVehicle Performance Engineerとなり、最終的にVehicle Dynamics Engineerに落ち着くなど、シルバーストーンのチームらしい変遷を辿っていくことになります。

メインの業務となるシステムモデリングについては、前職のSiemens Industry Softwareでダンパーや油圧パワーステアリングシステムでのモデリング経験があったので、すぐにモデル開発の仕事に取り組むことが出来ましたが、レースサポート業務についてはいわゆる未経験、しかも英語のリスニングには特に苦手意識があったので(それは今もですが…汗)、担当し始めた頃は本当に緊張しました。

まとめ


このようにキャリア的には圧倒的ビハインドの状況から新たなスタートを切りました(正直なところ、そのビハインドは今でも背負い続けています)。しかし、これもまた自分の人生の選択ですよね。泣き言は言っていられません!自信を得るには、まずは経験を得ること、そして結果を出すしかありませんよね。

次回のブログでは、今回紹介した仕事をもう少し詳しく紹介します。秘匿義務の関係上、全てを紹介することはできませんが、一般論に落とし込んだ上で出来る限り分かりやすく解説しようと思います。次回のブログ更新をどうぞお楽しみに。

2023年6月11日

F1なるほど基礎知識【F1とヘルメットの歴史②】

[前回のブログ]
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さらなる安全性の追求へ。


1994年、モータースポーツ界を大きく揺るがす事件がサンマリノGPで起きてしまいました。アイルトン・セナとローランド・ラッツェンバーガーの事故死です。二人の尊い命が一つのグランプリウィークで失われたことは、大きな驚きと悲しみをモータースポーツ界にもたらしました。そして、さらなる安全性向上が必要であることを改めて痛感させたのです。

熱田護氏GP500ギャラリーにて撮影
特にアイルトン・セナの事故死はヘルメットの安全性に関わる課題を洗い出しました。強大な前後Gと横Gにさらされるドライバーにとって、ヘルメットの軽量化は大きなベネフィットをもたらしますが、安全性はそれ以上に重要です。今回のブログではヘルメットの安全性向上の歴史について解説します。

カーボンファイバー素材の登場


1994年のアイルトン・セナの事故死から10年後、F1におけるヘルメットの安全性規格(FIA8860-2004)が改訂され、これに適合するためにカーボンコンポジット製のヘルメットが登場します。日本のヘルメットメーカーのアライは『GP-5 RC』を発表し、多くのF1ドライバーがGP-5 RCを選びました。

現在のF1では、車体部品の多くがカーボンコンポジット製であることが当たり前になってきました。軽量化と高い剛性を誇る素材なのでヘルメットの素材としても最適と思えますが、ヘルメットに求められる特有の安全要件ゆえ、その適用については大きな技術的なハードルがあったようです。特に耐衝撃性試験においては、必ずしもカーボンコンポジットが優れていなかったようです。1994年から10年後の2004年に規格が改訂されたのも、こういった技術的課題を解決するために時間を要したであろうことは想像に難くありません。


各ヘルメットメーカーの開発努力の結果、カーボンコンポジット製ヘルメットは安全性の向上と軽量化を同時に果たしたものの、1日1個という生産性の低さから、当時は市場での販売はされていませんでした。その後、各メーカーはこの低生産性の課題をクリアし、今日では2輪用から4輪用からまで幅広いラインナップが揃うようになりました。



難燃性素材を用いた内装


モータースポーツはクラッシュによる火災のリスクが伴うスポーツです。記憶に新しい事故事例として、2020年のバーレーンGPでのロマン・グロージャン選手のクラッシュがあります。衝撃的なクラッシュからの奇跡的な生還を果たした彼ですが、その背後には難燃性素材の存在があります。

引用元 : Bellヘルメット公式サイト
F1を始めとした4輪モータースポーツでは、レーシングスーツやアンダーウェアにはノーメックスと呼ばれる難燃性の生地が使われています。もちろん4輪用ヘルメットの内装にも使われており、この難燃性素材をまとうことで素肌の直接的な火傷を防いでくれます。ノーメックスはデュポン社によって1960年代に開発され、モータースポーツだけでなく消防士や空軍パイロットの防護服など多くの産業で活用されています。また、最近はヘルメット内装にカラーバリエーションが用意されるなど、安全性向上だけでなく商品性向上の取り組みも見られるようになりました。

バイザーロック機構の登場


クラッシュ時、ドライバーは大きな衝撃を受けることになります。先述したロマン・グロージャンの事故では、最大67G(重力の67倍)もの衝撃だったそうです。このような悲惨な事故でもヘルメットはドライバーの頭部をしっかり守らなくてはなりませんが、ヘルメットの開口部から見える顔も保護しなくてはなりません。

このような大きな衝撃を受けた際にヘルメットのバイザーが期せずして開いてしまったらどうなるでしょうか?ドライバーの目と鼻が炎にさらされるだけでなく、破損した部品による受傷のリスクも十分に考えられます。そこで登場したのが、バイザーロック機構です。これまでもロック機構はあったものの、新しく登場したロック機構はバイザーを開く前にワンアクション必要となる構造となっています。


各メーカー毎にその機構は異なりますが、アライの場合は『ロック機構のレバーを引く⇒バイザーを上げる』となっています。アメリカのBELL社製ヘルメットでは、強固なロックと軽量性を兼ね備えたシンプルな機構となっており、各社のバイザーロック機構の考え方に違いがあり、とても興味深いです。

おわりに


最後に僕から読者の皆さんへのお願いを書いて今回のブログを締めたいと思います。大切な命を守るヘルメットには使用期限があるのをご存じでしょうか?ヘルメットに使われている衝撃吸収材は経年劣化により硬化してしまいます。このため、使用期限を過ぎてしまうと本来の安全性能を担保することが出来ません。

外装に傷がなく、購入して以来一度も衝撃に晒されたことがなくキレイに使用していたとしても、ヘルメットの性能劣化を防ぐことは出来ません。オリジナルペイントを施したヘルメットなどには愛着があるかも知れませんが、定期的な買い替えを強くオススメします。

今回のブログでは素材と機構の観点からヘルメットの安全性について解説しました。1994年の頃に比べ、現在のヘルメットは大きな進化を遂げました。しかし、安全性の追求に終わりはありません。今後もヘルメットメーカーの継続的な改良・改善から目が離せませんね。

[おわり]

2021年4月23日

F1なるほど基礎知識【F1とヘルメットの歴史①】

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ヘルメットを使うスポーツと言えば?


ヘルメットを使うおなじみのスポーツと言えば、日本では野球が挙げられると思います。野球ではチームの各選手が共通デザインのヘルメットを使っており、チームとの一体感を表現することに役立っています。 また、安全面では頭部へのボールの衝突を想定しており、競技中の視認性確保の観点からオープンフェイス型のヘルメットが使われています。

Aston Martin F1 Teamのドライバー2人の2021年仕様ヘルメット
一方、F1を始めとしたモータースポーツで使われるヘルメットは、他のスポーツと比べて少し特異な位置づけにあり、『デザイン』と『安全性』という点でその特徴を語ることができます。F1ではレース中に時速300kmを超える速さで走るので、『安全性』という点では最先端の技術が応用されています。一方、『デザイン』については、その時代背景に応じた興味深い変化が起きています。

今回のブログテーマでは、これら二つの視点に着目し、F1におけるヘルメットの歴史について解説します。

F1黎明期のヘルメット


まずは1960年頃のF1で使われていたヘルメットに注目してみましょう。写真は1961年のスターリング・モス選手です。当時のヘルメットは建設作業で使用されるようなオープンフェイスタイプのヘルメット。目を保護するためにゴーグルも装着して走行しています。現在のヘルメットと比べるとかなり雰囲気が違いますね!

MossLotusClimax19610806.jpg
CC BY-SA 2.0 de, 引用元:Wikipedia
現在のF1マシンの走行性能には及ばないものの、当時のF1マシンの平均速度は200km/hで最高速度は300km/hほどでした。この走行速度を考えれば、当時のヘルメットの安全性は十分であるとは言えません。事実、1960年代のF1では7名の尊い命がレース中の事故で失われてしまいました。事故の原因は様々ですが、このような悲しい事故がヘルメットの安全性向上の機運へと繋がっていきます。

一方、そのデザインに注目するとスターリング・モス選手のヘルメットはとてもシンプルで真っ白…(汗)。スポンサーロゴすらもありません。というのも、当時のF1ではマシンを広告塔として使うという文化が始まっておらず、各チームのロゴ、チーム国籍のナショナルカラーなどが車体に描かれるのみという時代だったのです。


1970~80年代のヘルメット


この時代のF1ドライバーのヘルメットはフルフェイスとなり、バイザーも装着されるようになります。その形状と構成は現代のヘルメットにかなり近くなり、ドライバー独自のカラーリングデザインが施されるようになりました。次の写真は1976年のモナコGPでティレルP34を駆るジョディ・シェクター選手です。やはり真っ白なヘルメットと比べると華やかに見えますね!

引用元:F1公式サイト © Sutton Motorsport Images
そのクオリティはというと…まだまだ改善の余地がたくさんあったと思います。例えば、この時代のヘルメットは通気性が悪く、雨の日はバイザーが曇りやすかったようです。このような機能性の課題はあったものの、フルフェイス型ヘルメットの導入により、安全性は飛躍的に改善されていたと言えるでしょう。

一方、1970年代のF1は空力デザインの進化によりコーナリング性能も向上していました。当然、走行性能向上に伴いヘルメットの安全性もそれを超える勢いで改善されなくてはならないのですが、残念なことに当時のヘルメットの安全性はマシンの進化レベルには追い付いていなかったようです。結果的に1970年代のF1では8名の死亡事故が起きてしまいました。

2017 FIA Masters Historic Formula One Championship, Circuit of the Americas (23970306838).jpg
CC BY-SA 2.0, 引用元:Wikipedia
もちろん、全ての事故がヘルメットの安全性に起因している訳ではありませんが、いくつかの事故ではヘルメットの安全性が現代レベルであれば、悲しい結末にはならなかったも知れません。

今回のまとめ


F1が始まった1950年代から1980年代にかけて、ヘルメットの安全性の重要度が認知され、安全性が向上しました。デザインについてもF1の商業面での変化から色鮮やかなカラーリングが施されるなど、大きな変化が見られました。

しかし、安全性への飽くなき追及に終わりはありません。F1ドライバーにヘルメットを供給するヘルメットメーカーたちは日々ヘルメットの安全性向上に必死に取り組むのですが、再び悲しい事故が起きてしまうのです。そう、1994年に開催されたF1サンマリノGPで起きてしまった、あの二つの事故です。

次回のブログでは、あの事故をきっかけに1990年代以降のヘルメットがどのような進化を遂げたのか解説します。次回更新をどうぞお楽しみに。

[つづく]