2018年6月30日

僕がF1エンジニアになるまで【神様のプレゼント編】

[前回のブログ]
[重要なお知らせ(Important notification)]

F1の世界には神様がいる。


皆さんはどう思いますか??F1の長きに渡る歴史の中で、伝説となったレースやドライバーもいるので、何となく『たぶん神様っているんだろうなー』と感じたこともあったかと思います。でも、僕はその存在を固く信じています。なぜなら、フォースインディアF1チームからの結果連絡を待つ僕に、F1の神様は驚きのプレゼントを用意してくれていたからです。

(引用元:ホンダ公式サイト)
もしかしたら、そのプレゼントは天国にいる本田宗一郎さんからのプレゼントだったのかも知れません。宗一郎さんがF1の神様に『アイツ、ちょっと労ってやってくれよ。』と言ってくれたのではないかと…。ホンダとはずっと縁のなかった僕が、そう思わないではいられないほどの奇跡的な出会いが待っていたのです。

今回のブログではそのプレゼントがどんなものであったのか?そして、どんないきさつでそのプレゼントをもらうことになったのか?そのエピソードについて書き綴っていきたいと思います。

始まりは些細な葛藤から。


フランスでF1を目指して修行生活を積んでいた僕でしたが、僕は節約生活を心掛けていました。自分の夢の実現のために愛娘を日本に残して飛び出してきたのですから当然のことです。

ある日のことです。Auchan(オーシャン)というスーパーマーケットでお買い物をしている時のことです。家電好きな僕の目にあるものが入ってきました。それは外付けのオーディオスピーカー。『あ、そういえばテレビの音質が良くないんだよなぁ…』そんな考えが頭に浮かびましたが、続けてこう思うのです。『いや、まぁ、絶対に必要なものでもないし、買うという選択肢はないよなぁ…』と、ちょっとした葛藤に陥ったのです。

結局買っちゃったオーディオスピーカー
その後、普段通りのお買い物を済ませた僕は、気が付くと再び家電製品のエリアに来ていました。そしてオーディオスピーカーのラインナップを改めて確認しつつ、再び葛藤し始めたのですが、もはやその時点では価格と性能のバランスをどこで妥結するか?という『買うこと』が前提の葛藤へと進化していたのです(汗)。

結局、€20(当時のレートで2,800円)ほどのオーディオスピーカーを棚から取り出し『おお、神よ。誘惑に勝てなかった僕をお許し下さい…。いや、許してくれるであろう…』そんな浅はかな考えとともにレジへと向かっていたのです。しかし、無駄遣いとも言えるこのお買い物が、まさか神様からのプレゼントに繋がるとはこの時は全く知る由もありませんでした。


日本への帰国に向けて。


以前のブログで書いたように、会社から契約の延長を拒否されてしまった僕は就労ビザが期限切れになる前にフランスから退去しなくてはなりませんでした。フォースインディアF1チームとの面接が終わり、イギリスからフランスへと戻った僕はすぐに日本への帰国準備を始めました。

住んでいたアパートの解約や家具・家電の処分など、地味にやらなくてはならないが多かったのですが、Facebookに設置されていたリヨン在住者のコミュニティを活用して処分を進めていました。そんなある日、このコミュニティでオーディオスピーカーを譲って欲しいという女性Aさんから書き込みがあったのです。

『良かった!引き取り手が見つかった!』

引き取り手が現れてくれたことにホッとしつつ、Aさんと連絡を取りあって引き渡しの段取りを進めていったのですが、実はAさんについてちょっと気になることがありました。というのも、AさんのFacebookのアイコンが明らかにF1との関連を思わせるものだったからです。また、Aさんの苗字も僕の脳裏のどこかに何か引っ掛かる感じがしたのですが、その時は『たぶんF1好きな女性なんだろうな~』と思うに留まっていました。

リヨンで繋がる"ホンダ"との縁


迎えたオーディオスピーカーの引き渡しの日。待ち合わせ場所はリヨンの旧市街近くにあるHotel de Villeという旧市庁舎の前でした。時間通りに待ち合わせ場所へ現れたAさんに、まずは簡単な自己紹介と挨拶をしてオーディオスピーカーをお渡ししました。

Hotel de Villeに掛かる虹
そもそも安物のオーディオスピーカーだったのでお代の受け取りは遠慮させて頂き、その代わりにスターバックスでコーヒーをご馳走してもらうことになりました。そして、その時に気になっていたことを思い切ってAさんに聞いてみたのです。

[自分]『F1、お好きなんですか?Facebookのアイコンがそれっぽい感じでしたので。』

[Aさん]『はい、大好きですよ!』

いやはや、まさかリヨンでF1好きな女性と知り合うことになるとは…(汗)。それだけでも驚きでしたが、その後の会話で衝撃の事実が2つも発覚するのです。なんと、AさんはホンダF1活動の第二期、第三期において重責を担った方のご息女だったのです。そして、フォースインディアF1チームのCOOであるオットマー・サフナウアーとも旧知の仲だというのです。

フォースインディアF1チームとの面接を終えたばかりの僕にとって、まさかまさかの展開です。Aさんと日本で知り合うというなら十分にありうる話だと思いますが、まさかフランスで、しかもパリではなくリヨンという街で、ホンダに深く関わっている方と繋がりが出来ようとは想像すらしていませんでした。

神様からのプレゼントとは。


その後、僕はフォースインディアF1チームからオファーをもらうことになるのですが、渡英の日程が決まった頃にAさんから連絡があり『家族でヨーロッパ旅行に行くのですが、食事も兼ねてロンドンで父と会いませんか?』とお誘いを頂いたのです。

たまたま都合を着けることが出来たので、そのお誘いに応じさせて頂くことにしました。学生時代からの就職活動を含め、ずっと縁のなかったホンダ。結果的にホンダで働くことは叶いませんでしたが、最後の最後にこういった形でホンダF1で重責を担った方とご縁ができるとは誰が想像できるでしょうか?

お会いしたのはフォースインディアF1チームで働き始める直前の週だったと思います。僕は終始、緊張しっぱなしでしたが、Aさんのご家族との食事は一人のF1ファンとして最高の時間となったのは言うまでもありません。アイルトン・セナのことや第二期、第三期のF1活動で苦労したこと、そして現在のホンダF1についての想いなど、本当に貴重なお話を聞くことができたのです。

極度に緊張してはいましたが、楽しかった食事の時間はあっという間に過ぎ去っていきました。そして迎えたAさん家族との別れ際のことです。Aさんのお父様から『これから大変だと思うけど頑張って!』と激励のお言葉と握手を頂いたのです。

『F1の世界には神様がいる。』

僕はその存在を信じています。F1エンジニアとしての生活がスタートするまさにその時に、最高のプレゼントを僕に贈ってくれたのですから!

[つづきはコチラ]

【目次】僕がF1エンジニアになるまで


01. はじめに

02. 学生就職活動編①
03. 学生就職活動編②

04. 三菱自動車時代①
05. 三菱自動車時代②
06. 三菱自動車時代③

07. 第一次転職活動編①
08. 第一次転職活動編②

09. 日産自動車時代編①
10. 日産自動車時代編②
11. 日産自動車時代編③

12. 第二次転職活動編①
13. 第二次転職活動編②
14. 第二次転職活動編③
15. 第二次転職活動編④

16. フランス修行編①
17. フランス修行編②

18. 第三次転職活動編①
19. 第三次転職活動編②

20. 神様のプレゼント編

21. 完結編①
22. 完結編②

2018年6月17日

僕がF1エンジニアになるまで【第三次転職活動編②】

[前回のブログ]
[重要なお知らせ(Important notification)]

最後の鍵を求めて


様々な紆余曲折を経て、ようやく…ようやく掴み取ることのできたフォースインディアF1チームとの面接の機会。この面接で失敗することはF1への道がほぼ閉ざされることを意味していました。そんな状況は精神的にラクではありませんでしたが、不思議と悲観的にはなっていませんでした。

なぜなら、それまでに受けてきた面接を経て自分に足りないものが何なのか?そのことがかなり明確になってきていたからです。その足りないものをきっちりと補うことが出来れば可能性は十分にある…そう感じていました。

僕の取った面接への対策とは…
今回のブログでは、フォースインディアF1チームとの面接に向けて僕がどのような心構えを持ち、どのようなことをして面接に臨んだのか?ということについて紹介しようと思います。

後悔は最初からいらない。


『自分にやれることは全部やりました。残念ながら望んだ結果を得ることはできませんでしたが、後悔はありません。』どこかで聞いたことのあるような言葉ですが、そんな結末を迎えたくなかった僕は、全く異なる意識を持つようになりました。それはこんな意識でした。

『どこまでやれば後悔せずに済み、望みうる結果を得られる?』

誰しも失敗に終わることなど望みませんが、目標を達成するためにどこまでやればいいのか?それを明確にせずに『とりあえず思いつくことをひたすらやってみた』だけでは不十分と考えたのです。もちろん、考えに考えを重ねたところで『どこまでやればよいのか?』という疑問への正解に辿り着くことは絶対にできません。けれども限りなく正解に近づくことはできるはずです。

自分に後悔なんていらない…そう思いつつ自分の課題をとことん見つめなおすことにしたのです。


面接で直面した課題とは?


当時の自分の課題を簡単に表現するのであれば『伝えるべきこと』、『伝えたいこと』が相手に伝わっていないということでしょう。自分のCV(履歴書)に関しては多くのアップデートを重ねて改善した結果、読み手に自分の技術力や強みが伝わるようになっていたのですが、肝心の面接となるとイマイチという状況でした。

そもそも英語が母国語ではないので、他の候補者と比べると表現力という点ではまず敵いません。この課題に対して僕がどのような対策を取ったのか?それをここで紹介しようと思います。

作成した面接用の資料
①説明のストーリーラインを設計する
僕が受けた面接で全てに共通していたのは、面接開始早々から自己紹介もほどほどに『じゃ、早速ですけど、これまでにどんな仕事をしてきたのか説明してください。』と要望されたことでした。志望動機などは一度も聞かれたことはありません(汗)。

その説明の最中、面接担当のエンジニアは僕に対して様々なことを質問します。面接官はその質問の答えから僕の技術力や考察力を推し量るわけですが、そういった質問こそが面接官の『強い関心事』であるわけです。ならば、その『強い関心事』を想定した上で説明のストーリーラインを作れば、面接官にとって理解しやすく、説得力のある説明になるのではないか?

そう考えた僕は、それまでに受けた質問を思い返し、さらに自分が面接する側の立場であったらどんな質問をするか?そんな想定を交えながら質問を洗い出し、説明のストーリーラインを設計していったのです。

②ストーリーラインに基づくプレゼン資料を用意する
技術を言葉だけで説明することは、その言語が何であれ難しいものです。日本語での説明であっても難しいことがあるのに、それが英語であればなおさら難しくなってしまいます。そんな時に最も効果を発揮するのが、ビジュアル化された資料です。

このような資料において最も重要となることは、技術のエッセンスとなる部分を優先的に資料へ掲載し、できる限りシンプルにまとめることです。シンプルな概要図で全体をおおよそ理解してもらい、詳細を口頭で補足する。こんなスタイルでの技術説明を心掛けるようにしたのです。

業務説明の資料サンプル
面接の時に自分が持ちうる実力が100であったとします。しかし、それが80しかないように見えてしまうのではもったいないだけです。面接では100の実力を100の実力としてキッチリ伝えることが本当に大切です。日本人にとっては就労ビザという課題もあるだけに、こういった資料を活用して無用な損失を被らなかったことは、成功の秘訣の一つとなったように思います。

そして迎えた面接は…


僕がフォースインディアF1チームの面接を受けたのは2016年7月18日のことでした。この面接に向け、僕はほぼ全ての時間を準備に充てがいました。

迎えた面接当日。受付を済ませ、緊張しながらロビーで待っていた時のことです。日本人らしき長身の男性が僕の目の前を通り過ぎました。それはチーフデザイナーの羽下さんでした。思わず声を掛けて挨拶したところ、静かな声で『頑張ってね。』という激励を頂き、握手して頂けたことが想い出に残っています。

フォースインディアF1チームのファクトリーの看板
しばらくすると、二階から面接を担当するエンジニアの2人がロビーに降りてきました。手短な自己紹介と握手を交わした後は面接会場となる会議室へ案内され、いよいよ運命を決する面接が始まりました。この時の緊張感は…恐らく…人生で後にも先にも超えることはないであろうフェルスタッ…いえ、マックス状態だったと思います(汗)。

面接が始まったのは14時で、終わったのは18時。4時間にもおよぶ長時間の面接になったのですが、僕にとってはあっという間の時間でした。そして、僕が人生で経験した面接の中で最もワクワクできる楽しい面接となったのです。

面接対策は大きく功を奏したのですが、想定以上に効果を発揮したようで、面接というよりも面接官との技術談義となってしまったのです。質問はもはや面接官本人の知的好奇心によるものになっていました。

考えた時間∝自分の進化


面接を終えた僕はシルバーストーンを後にし、滞在先のホテルに戻りました。全身全霊のパワーを出し尽くし、精根尽き果てた僕はホテルのベッドで大の字になって寝転びました。その日の時点で確実なことは何一つありませんでしたが、僕の心の中には確固たる自信が芽生えていました。『残念で後悔するような結果にはならない』と。

フォースインディアF1チームの正門
フォースインディアF1チームとの面接に向けて僕は色々なことを考えては実践しました。その全てに効果があったとは思いませんが、『自分の進化は、考えた時間に比例する』ということを学べたように思います。

『失敗する可能性をゼロにすることはできないが、考えに考え抜いて行動すれば成功する可能性は必ず高まるはず…』

ベッドに寝転び、天井を見上げていた僕はこんなことを考えつつ、深い眠りに落ちていったのです。

[つづきはコチラ]

【目次】僕がF1エンジニアになるまで


01. はじめに

02. 学生就職活動編①
03. 学生就職活動編②

04. 三菱自動車時代①
05. 三菱自動車時代②
06. 三菱自動車時代③

07. 第一次転職活動編①
08. 第一次転職活動編②

09. 日産自動車時代編①
10. 日産自動車時代編②
11. 日産自動車時代編③

12. 第二次転職活動編①
13. 第二次転職活動編②
14. 第二次転職活動編③
15. 第二次転職活動編④

16. フランス修行編①
17. フランス修行編②

18. 第三次転職活動編①
19. 第三次転職活動編②

20. 神様のプレゼント編

21. 完結編①
22. 完結編②

2018年6月12日

僕がF1エンジニアになるまで【第三次転職活動編①】

[前回のブログ]
[重要なお知らせ(Important notification)]

F1への最後のチャレンジ


まさかの解雇通告を受けた日の翌日。失意の僕に千載一遇のチャンスが巡ってきました。それがフォースインディアF1チームからの面接の連絡でした。まさに捨てる神あれば拾う神ありです。

前回のブログでも少し書きましたが、Siemens Industry Software SASでの仕事が6ヶ月が経過した時点でF1への転職活動を再開していました。フランスでの仕事経験はたったの6ヶ月ではあったものの、転職活動再開から3ヶ月で面接に呼ばれた回数はなんと3回もありました。日本にいた頃に比べると圧倒的なペースで面接に呼ばれていたのです。やはりヨーロッパに来たことは正解だった…そう実感できました。

Circuit de Catalunya
僕のこれまでの転職活動と言えば、もはや因縁と言っても良いでしょう。"あの企業"とも、ちょっとした接点があったのですが、そのエピソードも含めて第三次転職活動で関わりのあったチームを紹介したいと思います。

HAAS F1 Team


このチームは日本人のF1ファンの皆さんにとってはお馴染みのチームでしょう。そう、チーフレースエンジニアの小松礼雄さんが有名かと思います。当時はチームの人員補強のため、積極的に採用をしていたようです。僕がこの時に応募したポジションはPerformance Engineerでした。

HAAS F1 VF-18(引用元:HAAS F1 Team公式サイト)
ある日の仕事中のことでした。僕の携帯電話が鳴りました。画面を見ると国番号+1の国際電話の着信でした。『んんんん?アメリカ?アメリカのSiemensかな?』と思い、電話に出てみると『!@#$%^&*』と怒涛の勢いで英語を話してくる女性からでした。

『あ、あのすみませんが、会社名をもう一度おっしゃって頂けます?』

と落ち着きを促すようにゆっくりとお願いすると…

『HAAS F1 Teamです。』

『あ!(…そういえば応募してたな…)』

完全に油断していました。応募した時点では『自分の経歴とは毛色の違うポジションかもなぁ…』と感じていたので、先方から連絡がくることは全く想定していませんでした。『ま、可能性はゼロじゃないし、とにかく応募してみよう』という感じでの応募だったのです。

『今から電話面接をしたいのですが…』

『え?!今からですか?!ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい(汗)!』

まさかのタイミングだったので準備らしい準備もできず、メモとペンを持ってすぐに自席を離れ、人影の少ないエレベータホールへと移動しました。今思えば『仕事中なので日を改めさせて頂けませんか?』とお願いすれば良かったかも知れません。突然の電話面接で、場所は職場を眼前にしたエレベータホール。心の準備も何もないままでの面接は、全く手ごたえがありませんでした(汗)。そして予想通り、HAAS F1 Teamとは縁がありませんでした。ここでの反省は『いつ何が起きても良いようにしっかりと準備をしておくこと』でした。

後日分かったことですが、HAAS F1チームはこの頃、イギリスのTier2ビザのスポンサー資格を持っていなかったため、いずれにせよHAAS F1チームからオファーをもらえることはなかったようです。

Williams Advanced Engineering(WAE)


F1部門ではありませんでしたが、同じ敷地内にありますし、F1への足掛かりにもなりそうだったのでWAEの採用告知も常にチェックしていました。ある日、Control System Engineerのポジションの採用が告知されたので『イケそうな気がする!』と思い、すぐに応募しました。

すると1週間ほどで面接の連絡があったのです。国内での転職活動中は何度も応募していたWilliamsでしたが、初めて面接に呼んでもらうことができました。しかも、応募してすぐにレスポンスがあったのには驚きました。

Jaguar Formula-e (引用元:Williams Advanced Engineering) 
ちなみにWAEではジャガーのFormula-eチームの運営を担当していますが、モータースポーツ以外にも様々なクルマの開発も受託しており、仕事内容はなかなかエキサイティングな内容でした。ちなみに面接を担当してくれた方はフランス人でしたので、面接の冒頭はフランス語を少しだけ話しました。

WAEとの面接は電話面接だったのですが、ここでも手ごたえは得られず…でした。結果も予想通りオファーに繋がりませんでした。この頃から『どうも自分の強みが相手に伝わりきっていない…』そう感じるようになり、もっと対策が必要と考えるようになりました。


Honda F1 (Milton Keynes)


はい。因縁のHondaさんです。 と、いってもHRD SakuraではなくHonda F1のイギリスでの開発拠点であるMilton Keynesのポジションへの応募でした。2016年当時は頻繁に募集がかかっていたので、内情は推して図るべし…といったところでしょうか(汗)。肝心の僕の応募の見通しとしては、僕にエンジン系の開発経験が無かったので面接に呼ばれるのはちょっと厳しいかな…と思っていました。

(引用元:motorsportsjobs.com)
で、案の定、面接には呼ばれませんでした…。ちなみに冒頭で『接点があった』と書きましたが、このポジションへの応募が接点ではありません。

実は2016年の3月のプレシーズンテストを見学するためにカタルーニャサーキットを訪れていたのですが、パドックで運良く長谷川総責任者に遭遇し、僕の履歴書を手渡しさせて頂いたのです。長谷川さんからすれば、いきなり話しかけてきた怪しげな日本人に『何なの?コイツ?』と思ったに違いません。もう2年以上前のことですし、当時はかなりの激務だったかと思うので、ご本人はもう覚えていないかも知れませんが(汗)。

今となっては良い想い出ですが、現在はホンダに深く関わる方々と家族ぐるみのお付き合いになるなど、仕事以外での繋がりで大変お世話になっています。

Scuderia Toro Rosso


え?!と思った方も少なくないと思います。この話は後日談なのですが、すでにフォースインディアで働いていた昨年のことです。トロ・ロッソとホンダの提携が公表された直後に『ウチに興味ありませんか?』とトロ・ロッソの人事から直接連絡を頂いたのです。

(引用元:Scuderia Toro Rosso公式サイト)
トロ・ロッソの開発拠点であるイタリアのファエンツァに日本人エンジニアがいると助かると考えてたのでしょう。彼らからすれば、日本語と英語の語学スキルに加え、ヨーロッパの文化にも慣れていて、技術にも明るい日本人エンジニアがいれば心強いと考えるのは自然なことです。ただ、僕はフォースインディアでの仕事に本当に満足していましたし、日本⇒フランス⇒イギリス⇒イタリアと移住を繰り返すのはさすがに無理…と思い、丁重にお断りさせて頂きました。

F1への扉を開く最後の大切な鍵


幸いなことに短期間の間で2回の面接の機会に恵まれたは良いものの、最終的に契約オファーを得るために『何か』が足りない…そう痛感するようになりました。

フォースインディアF1チームとの面接が失敗に終われば、F1への夢はその時点でゲームオーバーとなってしまいます。文字通り崖っぷちの状況でしたが、まさにこの時、ゲームオーバーとならないようにするべく、僕の意識は更なる高みへと登り詰めようとするのでした。

[つづきはコチラ]


【目次】僕がF1エンジニアになるまで


01. はじめに

02. 学生就職活動編①
03. 学生就職活動編②

04. 三菱自動車時代①
05. 三菱自動車時代②
06. 三菱自動車時代③

07. 第一次転職活動編①
08. 第一次転職活動編②

09. 日産自動車時代編①
10. 日産自動車時代編②
11. 日産自動車時代編③

12. 第二次転職活動編①
13. 第二次転職活動編②
14. 第二次転職活動編③
15. 第二次転職活動編④

16. フランス修行編①
17. フランス修行編②

18. 第三次転職活動編①
19. 第三次転職活動編②

20. 神様のプレゼント編

21. 完結編①
22. 完結編②