2018年4月21日

僕がF1エンジニアになるまで【日産自動車時代編①】

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心機一転のスタートも…


第一次転職活動を経て入社することとなった日産自動車。三菱自動車を2007年3月末で退社し、日産自動車へ入社したのは2007年4月のことです。 配属先は走行制御開発部で、車両運動に関連する走行系制御システムの先行開発~量産適用開発を担っている部署でした。 勤務地は厚木市森の里青山にある日産先進技術開発センターとなったので、愛知県大府市から神奈川県に引っ越し、新生活をスタートさせました。

日産先進技術開発センターNATC(引用元:日産自動車公式サイト)
当時の走行制御開発部は追浜の総合研究所出身の管理職の方が多くいたこともあって、先行開発と言うよりも研究開発寄りの立ち位置で開発を進めているという印象を受けました。 また、優秀で個性的なエンジニアも多く所属しており、充実したエンジニア生活を送れそうだなと感じました。そんな刺激的な環境での仕事が始まると同時に周囲との大きな"実力差"も思い知らされることになるのです。

配属先チームでの充実した時間


日産自動車での中途採用面接ではハイブリッド車の回生ブレーキ制御開発を希望していました。 当時、F1にもエネルギー回生システムであるKERSの導入が決まっていたので、その技術領域を習得したかったからです。 人事からは『希望通りの配属となる予定』と聞かされていたのですが、実際に入社してみると4WASなどを 扱うステアリング系制御システムの先行開発チームに加入することになっていました。最初は『んーちょっと話が違うぞ?』ちょっと当惑しましたが、この配属先変更は今振り返ってみると嬉しい誤算でした。

この当時、僕の配属先のチームを率いていたのは理論派切れ者エンジニアのY主担。4WASの生みの親でもあります。このチームに所属していた3年間で僕は車両運動を理論・実践の両面で深く学ぶことができたのですが、先にも書いたように周囲のエンジニアとの差は決して小さくなく、 Y主担を頻繁かつ大いにイラつかせてしまいました。

4WAS搭載のV36スカイライン(引用元:日産自動車公式サイト)
こんなエピソードが記憶に残っています。

Y主担が僕の席に来て、シミュレーションモデルについてあれこれと僕に指示を出し始めました。 けれども、Y主担の素早く難解な指示にモタつく自分。加えて、実行したシミュレーション結果についてもどう考察すれば良いのか分かりません。 背後には顔を真っ赤にしたY主担。ものすごいプレッシャーです(汗)。業を煮やしたY主担は、少しシンプルな条件下でのシミュレーションを実行するよう僕に再び指示を出すのです。 僕がその指示通りにした後、シミュレーション結果のグラフを見てY主担が一言こう言います。『分かるか?この結果はタイヤの非線形特性に起因しているんだ。』と。

当時の僕はタイヤの非線形特性は知ってはいたのですが、その知識が車両挙動への考察に結びついていなかったのです。 この時Y主担が教えたかったこと。それは単にタイヤの非線形特性についての知識ではなく、車両挙動がどんなファクターとの因果関係によって成り立っているのか? 全体を俯瞰してその因果関係を把握することだったのです。

当時の同僚との楽しかったツーリングの一コマ
僕にとってY主担はとても厳しい上司でした。しかし、幸いだったのはY主担が我慢強かったことです。実力不足の僕に決して匙を投げることなく、厳しくも熱意ある指導を施して頂けたのです。さらに同じチームには頼もしい二人の先輩社員、僕の1年後に入社してきた豪快で頼もしい後輩がいました。

どんな仕事であれ、日々の仕事から学びがあり、 職場の環境と人間関係に恵まれることは本当に幸せなことだと思いますが、この時はまさにそんな時だったと思います。Y主担を含めた5人のメンバーでの仕事は本当にエキサイティングでした。


先行開発での成果


当時の技術資料はもちろん手元にはありませんが、特許で当時の僕の仕事内容を伺い知ることができます。 当時出願した僕の特許が2013年に登録されていました。 Steer-By-Wire(ステア・バイ・ワイヤ)を活用した『車両用転舵制御装置』に関する技術で、左右間で摩擦係数の異なる路面(スプリットμ路)上でのブレーキ時に、 ドライバーに代わって自動でカウンターステアを当てるという制御です。

(引用元:Astamuse.com)
詳しい内容はリンク先を閲覧して頂くとして詳細の説明は割愛しますが、次のようなプロセスで開発に取り組んでいました。
  1. アイデアベースの制御ロジックをSimulink上でモデル化
  2. 車両運動モデルと連携させて制御性能をシミュレーションで検証
  3. 性能の目途が着いたらSimulinkモデルをCソースコードに書き下ろす
  4. ECUにCソースをリプログラムして台上で動作確認
  5. リプログラムしたECUを実車に搭載して走行テスト
  6. 走行データから性能課題を抽出し、制御ロジックをブラッシュアップ
上記のステップを繰り返して性能を磨いていくのですが、この仕事はとにかく楽しくて仕方ありませんでした。 ゼロから始まり、それまで世の中に存在し得なかった制御ロジックでクルマを動かす…楽しくないわけがありません!

封印したF1という目標


先行開発に勤しむ充実した日々を過ごしていましたが、一方で自分のエンジニアとしての実力のなさを痛感する日々でもありました。 正直なところ『F1云々とか言っている場合じゃない!』そんな状況でした。同じチームの先輩には多大な迷惑を掛けていましたし、とにかく出来ないことが多すぎました。

『さすがにこのままではまずいぞ…』

こんな危機感がヒシヒシと高まってきました。そこで、F1を目指す前に新しい課題を自分に課すことにしました。 それは『周囲から実力を認められるエンジニアになる』ことです。主観的ではなく客観的に、かつ相対的ではなく絶対的な実力を着ける必要があると考えたのです。

また、英語の実力もまだまだでした。この頃から定期的にTOEICを定期的に受験し、英会話学校にも週イチで通うようになったのですが、ベストは未だ700点台。海外で働くには少々心許ないレベルでした。

2005年F1日本GPでのRenault R25(著者撮影)
自分にとって最大の幸運は、仕事も英語力どちらも伸ばせる環境に恵まれたことでしょう。日産自動車でしっかりと実力を着ければ、いずれF1への可能性も見えてくるはず… そう考えた僕はF1という目標を一旦は脇に置き、自分自身のエンジニアとしての基礎固めに集中することにしたのです。 この課題を設定してからF1に辿り着くまで10年近くも掛かるのですが、この時の僕にはF1までの道程がどれほどになるのか、想像すらできていませんでした。

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