[重要なお知らせ(Important notification)]
待望のMS部への異動
ボデー設計部での仕事にも慣れ、コルトへの光軸オートレベリング機能の搭載設計もおおよそ完了した頃、いよいよ待望の人事異動が上司より通達されました。念願のモータースポーツ部への異動です。2005年4月のことでした。所属先はラリー車両開発チームで、WRC参戦車両であったランサーWR05の性能解析や、次期新型車両の先行検討を担当することになりました。
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ランサーWR05(引用元:三菱自動車公式サイト) |
車両運動CAEエンジニアとして
自分のエンジニア生活を振り返ってみると、本当に様々な範囲の技術に携わってきたなぁという実感があります。今となっては車両運動性能開発は自分のコア・コンピテンシーとなりましたが、ラリー車両開発チームに加入したことにより、この技術領域に初めて携わることになりました。
この時にMATLAB/Simulinkというソフトウェアを初めて使うことになります。今日では自動車業界に限らず多くの業界で使われており、MATLABなくして技術開発は不可能とまで言われるほどに重要なソフトウェアです。新しい職場での新たな仕事は、このソフトウェアを駆使して車両運動モデルを独自に開発することと、車両に搭載されているコンポーネントの事前性能検証を可能にするCAE環境の構築でした。
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(引用元:MathWorks社公式サイト) |
また、学生フォーミュラでもこのソフトウェアは有効に活用できると思います。モデル構築に始まり、計測した車両データのポストプロセス(計測後データ処理)など多岐に渡った用途に適用可能ですので、ぜひ参考にしてください。僕もこのMATLAB/Simulinkを駆使して様々なコードを作り、日々のデータ解析業務に活用しています。
立ちはだかった世界レベルの壁
学生時代にプロのレーシングドライバーを目指してカートに没頭する日々だった自分にとって、海外留学など世界に目を向けることは全くしていませんでした。当然、アルバイトで稼いだお金は全てカートへ…。社会人になって世界を意識するようにはなったものの、一度も海外に行ったことがありませんでした。
異動して職場でも落ち着けるようになった頃、上司は『MMSP(Mitsubishi Motor Sports Ltd.)に来て現地エンジニアと打ち合わせをして欲しい』という指示を僕に出しました。当時の上司はイギリスの開発拠点であるMMSPに駐在中で、開発の最前線を見ておいた方が良いと判断したのでしょう。
自分にとって初の海外、しかも単独での海外出張となったのです。TOEICの点数もその頃には600点台後半になっており、何とかギリギリやれるかなというレベルでしたが、海外渡航経験がなかったため一気に緊張感が高まりました。
(著者撮影:MMSPの社屋) |
欧米と日本で教育や就職の取り組みが大きく異なっていることも実力差の要因の一つだったのですが、それを言い訳にしても始まりません。とにかく彼らに追いつかねばならない、彼らの強みをとにかく地道に吸収していくほかない。そうした決意を持って出張から日本に戻ったのでした。
自分にとってこの出張は世界レベルを見る本当に良い機会になりました。当時の上司が僕に出張の機会を与えてくれたこと、今でも本当に感謝しています。ちなみに当時知り合った同年代のエンジニアとは今でも交流があり、そのうちの一人はSuper Aguri F1、Manor F1を経て現在はMercedes AMG HIGH PERFORMANCE POWERTRAINSでF1のPU開発に従事しています。
三菱WRC活動の休止
ラリージャパンの開催や、徐々に成果の出つつあった三菱のWRC活動でしたが、その活動にも終止符が打たれる時が訪れました。2005年の最終戦オーストラリアラリーの後、三菱自動車は次期型ランサーでのカムバックを目指すため、WRCワークス活動の休止を宣言したのです。当時、実際にどのような論議が起こっていたのかをこのブログに書くことはできませんが、最終的に僕が下した決断は三菱自動車を去ることでした。
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(引用元:三菱自動車公式サイト) |
それをずっと待ち続けることが果たして最良の選択となりうるのか?そしてエンジニアとして未だ半人前である自分が、より成長するために進むべき道は何なのだろうか?と、ずっと自問自答を続けました。そもそも三菱自動車に入社したのは世界レベルのモータースポーツにエンジニアとして関わることです。それが叶わないのであれば、自分をより成長させてくれる環境に移った方が良さそうだ…と思い始めました。
この時学んだこと。
それは、日本の自動車メーカーのモータースポーツ活動は会社都合によって簡単に方針が変わってしまうため、モータースポーツのキャリアを計画的に積むことが難しいということです。自分自身の意思でどうにもできない部分があまりに大きいのです。
このような状況を回避するための最良の選択、それはヨーロッパに渡り、モータースポーツ関連の会社に転職することです。しかし、当時の僕にそんな実力がないことは痛いほど理解していたので、エンジニアとしての成長が最も見込める場所をまずは国内で探し求めることにしたのです。
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【目次】僕がF1エンジニアになるまで
01. はじめに
02. 学生就職活動編①
03. 学生就職活動編②
04. 三菱自動車時代①
05. 三菱自動車時代②
06. 三菱自動車時代③
07. 第一次転職活動編①
08. 第一次転職活動編②
09. 日産自動車時代編①
10. 日産自動車時代編②
11. 日産自動車時代編③
12. 第二次転職活動編①
13. 第二次転職活動編②
14. 第二次転職活動編③
15. 第二次転職活動編④
16. フランス修行編①
17. フランス修行編②
18. 第三次転職活動編①
19. 第三次転職活動編②
20. 神様のプレゼント編
21. 完結編①
22. 完結編②