2018年3月11日

僕がF1エンジニアになるまで【学生就職活動編その②】

[前回のブログ]
[重要なお知らせ(Important notification)]

呼び覚まされる想い


野村総合研究所(NRI)から内定をもらった僕は、とりあえず就職活動を終わらせ、夏休みに入りました。NRIの内定者の仲間とは妙にウマが合ったことも後押しして、その夏休みはその仲間たちと遊びほうけていました。当時の僕はまだ若かったこともあり、気が付くと髪の毛は金髪になり学生生活最後の夏休みを思いっきり満喫していました(笑)。

(筆者撮影:Williamsチームの正門)
ところで、僕は大学時代に自動車工学研究会(理工系サークル)に加え、F1ジャーナリストの今宮純さんがOBに名を連ねる自動車研究会(文科系サークル)という二つのサークルに所属していました。夏休み中は遊びほうけてばかりいた僕でしたが、ある日、自動車研究会の先輩に電話をすることになりました。どんな用件だったのかは覚えていませんが、その先輩との電話をキッカケに、心の奥底に仕舞いこんでいた本当の気持ちが、再び心の中心に呼び戻されてしまうのです。

流した涙と本当の気持ち


久しぶりに連絡を取った先輩との電話。当然、就職活動が話題に上がりました。そしてホンダやブリヂストンと縁がなかったこと、そして最終的にNRIにお世話になることを決めたことを報告しました。その時、いつも優しく接してくれる先輩が僕の報告の後にこう聞いてきたのでした。

『それって本心なの?』

核心をついた先輩の質問に返す言葉がありませんでした。本心に従って決めた就職先ではなかったので当たり前です。そして先輩と話をしている最中、堪えようのない涙が溢れてきました。その涙は言うまでもなく悔し涙でした。心の奥底でくすぶる、叶わなかったF1への想い。そのことに改めて気付かされました。と同時に『このまま進んだら絶対に後悔する』とも痛感しました。

改めて当時を振り返ってみると、先輩が僕に対して納得できなかったであろうことは、F1に関連する企業への就職に失敗したことで、自動車エンジニアへの道も自ら閉ざしてしまったことだと思います。極端なことを言ってしまえば、たかが新卒での就職で希望の会社に入れなかっただけの話です。ホンダ、ブリヂストン以外にも自動車系企業はたくさんありますし、いきなりF1に関われないとしても、技術系のキャリアを積んでいけば将来的にF1の仕事に携わる可能性は十分にあります。

今となってはホンダとブリヂストンへの就職失敗も大した挫折でもなかったな~と思えるのですが、当時はその挫折に落ち込みつつも、すでに社会人として働いていた先輩からのアドバイスに素直に耳を傾けたことで、狂い掛けていた運命の歯車を少しずつありたい方向へと修正できたように思います。


就職活動再開までの葛藤


先輩との電話からしばらく経ち、夏休みも終盤の頃。いつものようにF1の中継放送をフジテレビで観戦していた時のことです。先輩との電話のこと、その時に流した悔し涙が思い出されました。

『やっぱり自分がやりたい仕事はF1なんだよな…。』

こんな自分の想いを改めて痛感しました。しかし、F1に深く携われる企業への望みは絶たれてしまっています。

『だけど、これで終わりって決めつけていいものか…。』

とにかく吹っ切ることのできないモヤモヤした感情に苛まれました。そのモヤモヤを恋愛に例えるならば、好きな子にフラれたけれども、やっぱり諦めきれずにいるような感覚でした。しかし、恋愛と就職で決定的に異なるのは、自分が望む限り再挑戦できることです。F1の仕事にすぐに関わることができないとしても、一歩一歩キャリアを積み上げ、遠回りをしてでもその世界に近づけるよう頑張ればよいだけのことです。

結局、心の中のモヤモヤは、F1に向けて遠回りすることを決意できずにいたことが原因だったと今では考えています。そして、この程度のことが決意できていない時点で、当時の僕はF1に相応しい人間ではなかったと思います。F1の世界で働くことは、それがF1チーム、ホンダ、ブリヂストン、いずれかに関わらずトップガンクラスのエンジニアである必要があります。仮に運良くホンダに入社していたとしても、F1に携わらせてもらえなかった可能性を否定できません。

(引用元:ホンダ公式サイト)
そんな脆弱な決意しか持っていなかった自分ですが、辛うじて先輩との電話をきっかけに就職活動をやり直すことを決意しました。『とりえあず、夏休みが明けたら就職活動をやりなおしてみよう…』と。

チャンスをくれた三菱自動車


夏休みが明け、大学に行くと真っ先に向かったのは就職課です。9月の時点で自由応募の採用はどの企業も終了していましたが、採用を継続している自動車メーカーの推薦枠がわずかに二つ残っていました。そのうちの一つ、それが三菱自動車工業でしたが、三菱自動車は2000年に発覚したリコール隠し事件の影響もあり、当時の学生からの評判は正直なところ良いものではありませんでした。

しかし、F1ではないにせよ三菱自動車の最大の魅力、それはWRCやパリダカなどのモータースポーツ活動でした。当時の僕にとっては、世界選手権レベルのモータースポーツに関われる可能性がある、それだけでも十分過ぎる程の魅力がありました。早速、就職課を通じて推薦の応募に取り掛かりました。そこからは本当にあっという間の出来事で、田町本社で実施された面接も無難にこなし、無事に三菱自動車から内定を頂くことが出来たのです。確か内定を頂いたのは10月1日の内定式の2週間ほど前だったと思います。

(引用元:三菱自動車工業公式サイト)
三菱自動車の内定を頂いてすぐにNRIへ内定辞退の連絡をしましたが、人事の方からは『え?!三菱自動車?!大丈夫なの??』と心配されましたが『どうしても実現したいことがあるので、三菱自動車にお世話になることにしました。』と伝え、丁重に内定を辞退させてもらいました。

何はともあれ、こうやって自動車エンジニアとして社会人をスタートするチャンスを手にすることができたのでした。

就職活動を振り返って


働くとはどういうことなのか?どんな意味があるのか?こんな疑問に全く思いを馳せることもなく、ただ単に自分のやりたいことだけを追い求める…これが僕の当時の就職活動でした。幸運にも三菱自動車との縁があったおかげで自動車エンジニアとしての社会人をスタートすることができましたが、本来であれば『働くことの意味』についてもっと真剣に考えるべきだったと反省しています。

実は三菱自動車で働いた4年間で『働くことの意味』を真に理解するのですが、その経験を踏まえて言えることは、従事する仕事が何であれ、世のため人のために汗水を流すことで得られる見返りが給料であるということです。今でこそF1で働いていますが、単にレースで勝てるクルマを作ることだけが、自分に課された最重要コミットメントだとは考えていません。F1というエンターテインメントを通じて、F1ファンを楽しませる、幸せにすること。広義にはこれが僕が成すべき社会貢献であり、仕事であると考えています。

さて、次回は三菱自動車時代のエピソードを紹介したいと思います。モータースポーツに情熱的な自分は三菱自動車への入社後、またしても『意外』な決断を下すことになるのです。

[つづきはコチラ]

0 件のコメント:

コメントを投稿