2018年4月25日

僕がF1エンジニアになるまで【日産自動車時代編②】

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プライドを捨てろ。


日産に入社してすぐに崩れ去ったエンジニアとしての自信。この頃からでしょうか。 自分に出来ることと出来ないことをしっかりと区別するようにして、少しずつ出来ないことを減らすよう心掛けるようになりました。 実際のところ、出来ないことが本当に多すぎて大変でした。Y主担の下で少しだけ成長することができたものの、若さ故の根拠なきプライドは成長の妨げにしからないと確信し、それを心の奥底へと葬り去ります。

そして迎えた日産自動車での4年目。この年はこれまでのエンジニア人生の中で最も困難で苦難に満ちた時期となります。

先行開発から量産適用開発へ


走行制御開発部での先行開発は自分にとって本当に貴重な経験になりました。 実際に走行制御ロジックを考案し、実験車への実装、そしてテスト走行による性能確認とロジックの作り込み。 しかもテストドライバーは日産でも数える程しかいないトップガンのテストドライバーでした。 願わくばもう一度、同じ環境、同じメンバーで仕事をしたいと今でも思えるほど恵まれた環境だったと思います。 そんな素晴らしい環境も終わりを告げ、日産自動車での4年目を迎えるにあたって先行開発チームから量産適用開発チームへと部内異動することになりました。

日産スカイライン(引用元:日産自動車公式サイト)
新しいチームでの仕事はSteer-By-Wire(ステア・バイ・ワイヤ)の量産適用開発でした。日産自動車での商品名称はDAS(Direct Adaptive Steering)といい、ステアリングへのバイ・ワイヤ技術の量産化(現在はスカイラインに搭載)は世界初の試みでした。

この仕事は自分にとって今までのエンジニア人生の中で最もタフな仕事になりました。 当時、周囲の同僚にはあまり言いませんでしたが、産業医のお世話になる一歩手前まで追いつめられた程でした。 そんなタフな日々の中ではあったのですが、人生において最も重要とも言える学びを得ることになるのです。

得られた最大の学びとは。


DASの開発がタフだった理由。 それは『世界初の量産化』という点に尽きると思います。

先行開発車両では限られた環境下で訓練されたドライバーが搭乗するので、システムの作り込みレベルはそれほど高くありません。 しかし、量産車開発となると話は全く別次元の話となります。DASのようなシステムの場合、安全性・信頼性を最高レベルで実現しなくてはなりません。

(引用元:日産自動車先進技術説明会2012)
この頃、安全性・信頼性に関する国際規格ISO26262の運用が本格化するなど、安全性への要求基準が大幅に引き上げられた頃でした。 さらに社内どころか世界でも前例のないシステムの量産化開発。ゼロから始まる部分が想像以上に多かったのです。 その結果、暗中模索となる日も少なくなく、僕はどんどんと追い詰められてしまいました。

そんな時、同じチームの先輩が僕にこんなアドバイスをしてくれたのです。

『本質さえ分かってしまえば何てことない。』

当たり前と言えば当たり前です。しかし、様々なファクターが複雑に絡まり合った課題の『本質』を瞬時に突き止めることは容易ではありません。 この場合、この言葉の真意は『物事を一つ一つ分解、単純化して分かりやすくすること』にあります。 この言葉は今となっては僕の行動様式に強く織り込まれています。難しい課題にぶち当たる度に『つまりはどういうこと?』と冷静に考えて単純化し、本質の追求に取り組むようになったのです。 また、この言葉は単に技術だけに限った話ではありません。フランスで生活を送っている時、F1に向けての就職活動の時、様々なシーンでの難課題に落ち着いて対応できるようになりました。

僕にとって金言となったこのアドバイスは、Kさん(現在は主担)という方より頂きました。 当時は馴れ馴れしくも『兄貴』と呼んで慕っていましたが(笑)、Kさんよりアドバイスを頂けたおかげで厳しい時を乗り越えることができました。


量産車適用開発からの離脱


世界初の量産適用開発の最中、人生最大の学びを得ることができたものの、心の中では車両運動性能開発への想いがずっと残っていました。また、F1へと繋がるキャリアを考えると、この頃の仕事は自分にとってベストとは言えませんでした。

Red Bull RB8(引用元:Wikipedia)
年齢は30歳を過ぎたこともあり、自分の望む技術領域での仕事に戻る必要があると感じ始めた僕は、現状打開策を模索します。この時の僕が辿り着いた打開策。それは部署の上司や部長に異動を訴えることではなく、オープンエントリーという日産独自の社内公募人事制度を活用することでした。

この人事制度は、本人の意思で異動が可能で、受け入れ先の部署が面接を経てOKを出せば異動が実現します。 必ずしも希望のポジションが空いているとは限らないのですが、幸いなことに『そうそう、まさにコレ!』というポジションを見つけることができたのです。

それは統合CAE部の車両運動性能CAE解析チームでのポジションで、車両運動シミュレーションを駆使して車両運動に関わる様々な性能を評価することが仕事でした。 僕のために用意されたのか?!と思わないではいられない程の運命を感じた僕は、すぐさま応募の手続きに取り掛かりました。

CarSim(引用元:バーチャルメカニクス公式サイト)
そして関係者へのアピール(という名の根回し?)も功を奏し、無事に統合CAE部への異動内定を得ることができたのでした。 今思うに、この異動は妻からの喝に続くエンジニア人生第二の分水嶺になっていたと思います。 なぜなら、この統合CAE部に所属した4年間でF1入りが一気に現実味を帯びてきたからです。 異動は2012年1月1日付となったことが人事より告知され、日産での最後の4年間がいよいよ始まることになります。


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