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フランス、リヨンでの生活がスタート
初めての海外、しかもフランスでの生活。不安がなかったと言えばウソになりますが、どうにかフランスでの生活のスタートを切りました。そして、この時の僕に与えられた時間は2年。『2年で結果が出なければ日本に戻ること』それが妻と交わした約束だったからです。
La Cité Internationale de Lyon |
ヨーロッパでの働き方とは。
フランスに限らず、これは欧米では一般的なことだと思うのですが、仕事は契約書に記載されている就労時間を"守る"のが基本です。朝9時から夕方6時まで、月曜日~金曜日まで8時間働きます。多少の時間の前後はありますが、定時になるとあっさり帰宅するのが普通です。当初、生粋の日本人サラリーマンを卒業したばかりの僕は定時退社することを無意識的に躊躇していました(汗)。
一方で、求められている成果が日本企業よりもずっと明確に示されているので、僕個人の感想としては働きやすいと感じました。限られた8時間の中でいかに効率良く成果を出すか?そのことを強く意識するようにもなりました。8時間でキッチリ仕事をこなし、仕事が終わったあとは自己研鑽やリフレッシュする時間に充てる…そういうライフスタイルの良さに気付いたのもこの頃でした。
フランスでは一人でカートを楽しんでました(汗)。 |
家族を日本に残し、自分の夢の実現のためだけにフランスで働ている自分にとって、そんな職場の同僚を見ていると羨ましいだけでなく、家族に申し訳ないな…と感じることも度々でした。
フランスでの仕事
Siemens Industry Software SASでの僕の役職名はSenior Project Engineerでした。主にプロジェクトマネージャーとして、時にはプロジェクトのメンバーとして、AMESimのモデル開発、実証データの取得実験を計画・実行することが仕事でした。自分のデスクはLyonで、実験となるとVillefrancheというリヨン郊外の街まで赴いて仕事をしていました。
Villefrancheの拠点 |
最初は小さなプロジェクトから始まり、日本の自動車メーカーから海外の自動車メーカーまで、この会社に所属していた10ヶ月でいくつかのプロジェクトの仕事を任せてもらいました。この時の僕はとにかく『カスタマーのために最大限の貢献を!』というテーマで日々の仕事に精を出していました。
AMESimのメカニカル‐油圧モデル(サンプル) |
狂い始めた歯車
この頃の僕は無意識のうちにプレッシャーに負けていたのかも知れません。仕事は難しかったものの楽しむこともできていましたし、カスタマーである自動車メーカーの方々にも仕事の成果は喜んで頂けていたと思います。しかし、F1に向けて先の見えない日々は僕の心を少しずつ疲れさせていたのでしょう。
『この先、僕はどうなってしまうんだろう?』
F1への可能性を求め渡ってきたフランス。家族に多大な迷惑を掛けて渡ってきた海。時として襲ってくる強烈な不安…。仕事からの帰り道、家族を思い出しながら空を見上げると滲んで見える日もありました。
Lyonの夕暮れ… |
そんな強がりともいえる僕の気持ちが原因で、僕の心の歯車が少しずつ狂い始めていたのです。そのことに当時の自分は全く気付いていませんでした。そして、Siemens Industry Software SASで働き始めて9ヶ月が経過したある日、僕は大きなミスを犯したことに気付かされ、そして人生最大の危機に直面するのです。
[つづきはコチラ]
【目次】僕がF1エンジニアになるまで
01. はじめに
02. 学生就職活動編①
03. 学生就職活動編②
04. 三菱自動車時代①
05. 三菱自動車時代②
06. 三菱自動車時代③
07. 第一次転職活動編①
08. 第一次転職活動編②
09. 日産自動車時代編①
10. 日産自動車時代編②
11. 日産自動車時代編③
12. 第二次転職活動編①
13. 第二次転職活動編②
14. 第二次転職活動編③
15. 第二次転職活動編④
16. フランス修行編①
17. フランス修行編②
18. 第三次転職活動編①
19. 第三次転職活動編②
20. 神様のプレゼント編
21. 完結編①
22. 完結編②