[重要なお知らせ(Important notification)]
さよなら、リヨン。
フォースインディアF1チームの面接も終わり、結果連絡を待っていた僕は、日本への帰国に向けてフランスならではの少々面倒な日々を過ごしていました。というのもフランスでは手続きごとは書面で通達しないとダメなことがほとんどで、フランス語力ほぼゼロの僕には苦行以外のなにものでもありませんでした(汗)。
アパートからのリヨンの眺望 |
どうにかこうにか現地の日本人やフランス人の助けのおかげで帰国の準備も無事に終わり、とうとう日本への帰国の日を迎えました。一年にも満たない、たった10ヶ月というフランスのリヨンでの生活。名残惜しさを感じつつ帰国の途に就きました。楽しくもあり、辛くもあったフランス生活でしたが、確実に僕を成長させてくれたように思います。
3.5次転職活動
前職であるSiemens Industry Software SASからは10月まで給与を頂けることになっていたので、すぐにお金に困ることはなかったのですが、オファーがもらえなかった場合に備え、念のため国内での転職活動を始めました。
幸いなことに多くの魅力的な企業からお話を頂くことができたのですが、その中でもドイツに拠点を持つIPG Automotive社の面接を受けさせて頂き、フォースインディアF1チームからオファーがもらえなかった場合はお世話になるという前提で内定を頂くことができました。IPG Automotive社はCarMakerという車両運動シミュレーションソフトウェアが有名で、ドイツに拠点を置く会社です。
(引用元:IPG Automotive Japan公式サイト) |
ただ、そういったご縁があったとは言え、『F1入りが実現しなかったら貴社でお世話になりたい』という、僕の一方的で勝手な都合にご理解を頂けたことについては、感謝しても仕切れません。
このように、僕のF1への転職活動では本当に多くの方々に応援・支援を頂くことができたのですが、そんなありがたい状況に感謝しつつも、いよいよ待望の瞬間を迎えることになるのです。
待望の結果連絡をもらうが…
運命の連絡は2016年8月30日のことでした。現在の上司からまずはメールで連絡が入りました。ドキドキしながらメールを開くと『電話で直接話がしたいのだけど、日本で繋がる番号を教えてくれるかな?』とのことでした。『え?電話で?』と少々戸惑いましたが、電話番号を連絡したところ、すぐに電話が鳴りました。
その時に話したことは極度の緊張のために鮮明には覚えていないのですが、一つだけ鮮明に覚えていることがあります。それはもちろん…
『君に契約のオファーを出したい。』
という言葉でした。F1への扉を開くために何度も、何度も、懲りることなくノックしてきましたが、ようやく…ようやくその扉が開いた瞬間でした。この時の僕の心情は歓喜というよりも安堵の方が強かったことを記憶しています。もちろん電話が終わってからは三回ほどガッツポーズをしましたが(笑)、実際にオファーをもらってみると、これまでのことが思い出され『少しは落ち着けるようになるな…』という安堵感に包まれました。
2016年全日本学生フォーミュラ大会会場にて |
この時の上司との電話では、契約オファーの他に年俸の交渉、その後の就労ビザの手続きについての簡単な説明を受け、『近いうちに再会するのを楽しみにしているよ!』という言葉をもらい電話を切りました。ここまでの感情は『歓喜』から『安堵』という流れでしたが、そう簡単に安堵することなどできないのがF1の世界なのかも知れません。
『安堵』の次に僕を包んだ感情は『安堵』とは全く正反対の感情だったのです。
[つづきはコチラ]
【目次】僕がF1エンジニアになるまで
01. はじめに
02. 学生就職活動編①
03. 学生就職活動編②
04. 三菱自動車時代①
05. 三菱自動車時代②
06. 三菱自動車時代③
07. 第一次転職活動編①
08. 第一次転職活動編②
09. 日産自動車時代編①
10. 日産自動車時代編②
11. 日産自動車時代編③
12. 第二次転職活動編①
13. 第二次転職活動編②
14. 第二次転職活動編③
15. 第二次転職活動編④
16. フランス修行編①
17. フランス修行編②
18. 第三次転職活動編①
19. 第三次転職活動編②
20. 神様のプレゼント編
21. 完結編①
22. 完結編②