2020年1月19日

『GP500 フォーミュラ1の記憶』を訪問して

[重要なお知らせ(Important notification)]


はじめに。


昨年末の冬季休暇中、熱田護氏の『GP500 フォーミュラ1の記憶』を訪問しました。いつもはシルバーストーンのファクトリーで開発業務の仕事をしている僕は、トラックサイドの仕事に出向く機会は少なく、現場の熱気からはちょっと距離のある仕事です。

Ayrton Senna 『GP500 フォーミュラ1の記憶』にて著者撮影
そういったこともあり、トラックサイドで発せられるF1の"熱気"を、熱田護氏がどのように表現するのか?とても興味があり、訪問を楽しみにしていました。今回のブログでは、素晴らしい作品に彩られたギャラリーで僕が感じたことを、印象に残った3点の写真*とともに紹介したいと思います。

[*注記]本ブログに掲載の画像はギャラリー内の写真を撮影したもので、熱田護氏の全来場者へのご厚意により数点の作品に限り携帯での撮影が許可されています。

JORDAN EJ12


EJ12 『GP500 フォーミュラ1の記憶』にて著者撮影
まず最初に紹介したいのがJORDAN EJ12です。佐藤琢磨選手がF1デビューを飾ったマシンであり、日本人との特別な縁を感じたことから印象に残った一枚として選びました。

佐藤琢磨選手が搭乗した他にもJORDAN GPに所属する日本人エンジニアたちが開発にも携わったマシン。そのマシンが生まれたファクトリーで今僕はエンジニアとして働いているのです。 この写真を見て『ああ、ようやく自分もこの世界に辿り着いたんだよなぁ…』と実感させてくれる作品でした。


雨のドニントンパーク、McLAREN MP4/8


McLAREN MP4/8 『GP500 フォーミュラ1の記憶』にて著者撮影
僕と同年代のF1ファンの方なら確実にこの写真に惹かれることでしょう。1993年、ドニントンパークサーキットで開催されたヨーロッパGP。多くの人がこの伝説的なレースを語りつくしており、僕はもはやこのレースを形容する言葉がありません。

イギリスに住んでいると、雨の日が多く憂鬱になることも。しかし、そんな憂鬱なイギリスの気候が生み出したのが偉大なるアイルトン・セナの伝説。イギリスでの雨の日はセナの走りに思いを馳せることができる。こんな風に思えれば、この国の天気も案外悪くないのかも知れません。

『雨の日はセナへの思いとともに前向きに頑張ってみよう。』

そんなポジティブな気持ちにさせてくれる素晴らしい写真でした。

セナ、最後の日


Ayrton Senna 『GP500 フォーミュラ1の記憶』にて著者撮影
なぜ彼だったのでしょうか?前日の予選ではローランド・ラッツェンバーガーが不慮のアクシデントで天に召され、決勝ではアイルトン・セナが何かに取り憑かれたようにタンブレロで逝ってしまいました。

セナの胸にどんな思いが去来していたのか、この写真を見れば彼の心の内がちょっとだけ見えるような気がしました。瞳が潤んでいることから、悲しみが心にあったのは想像に難くありませんが、それだけではない様々な感情が入り混じっていたのでしょう。

彼はもういません。多くの人々が悲しみました。もうこんな悲劇を繰り返さないようにしなくてはなりません。モータースポーツも含めモータリゼーションの中で人の命が失われないよう、一人のエンジニアとして尽力していきたいと思います。

アイルトン・セナが失われた悲しさに思わず涙がこぼれそうになりつつも、人の命を守るという想いも新たにさせてくれた写真でした。

終わりに。


まずはこの展示企画『GP500 フォーミュラ1の記憶』の運営関係者各位、そして熱田護氏に心より感謝の意を表したいと思います。素晴らしい写真を見せて頂き、本当にありがとうございました。

F1エンジニアになって関わったレースはまだ62GPしかありません。500GPには程遠いですが、僕も熱田護氏と同じように一歩一歩、F1での歴史を築き上げていこうと思います。

しかし、僕の経験したGP数と熱田護氏のGP数の差が縮まることはあってはなりません。GP現場で撮影に勤しむ熱田護氏の活躍を今後も楽しみにしています!

[おわり]