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2023年6月11日

F1なるほど基礎知識【F1とヘルメットの歴史②】

[前回のブログ]
[重要なお知らせ(Important notification)]

さらなる安全性の追求へ。


1994年、モータースポーツ界を大きく揺るがす事件がサンマリノGPで起きてしまいました。アイルトン・セナとローランド・ラッツェンバーガーの事故死です。二人の尊い命が一つのグランプリウィークで失われたことは、大きな驚きと悲しみをモータースポーツ界にもたらしました。そして、さらなる安全性向上が必要であることを改めて痛感させたのです。

熱田護氏GP500ギャラリーにて撮影
特にアイルトン・セナの事故死はヘルメットの安全性に関わる課題を洗い出しました。強大な前後Gと横Gにさらされるドライバーにとって、ヘルメットの軽量化は大きなベネフィットをもたらしますが、安全性はそれ以上に重要です。今回のブログではヘルメットの安全性向上の歴史について解説します。

カーボンファイバー素材の登場


1994年のアイルトン・セナの事故死から10年後、F1におけるヘルメットの安全性規格(FIA8860-2004)が改訂され、これに適合するためにカーボンコンポジット製のヘルメットが登場します。日本のヘルメットメーカーのアライは『GP-5 RC』を発表し、多くのF1ドライバーがGP-5 RCを選びました。

現在のF1では、車体部品の多くがカーボンコンポジット製であることが当たり前になってきました。軽量化と高い剛性を誇る素材なのでヘルメットの素材としても最適と思えますが、ヘルメットに求められる特有の安全要件ゆえ、その適用については大きな技術的なハードルがあったようです。特に耐衝撃性試験においては、必ずしもカーボンコンポジットが優れていなかったようです。1994年から10年後の2004年に規格が改訂されたのも、こういった技術的課題を解決するために時間を要したであろうことは想像に難くありません。


各ヘルメットメーカーの開発努力の結果、カーボンコンポジット製ヘルメットは安全性の向上と軽量化を同時に果たしたものの、1日1個という生産性の低さから、当時は市場での販売はされていませんでした。その後、各メーカーはこの低生産性の課題をクリアし、今日では2輪用から4輪用からまで幅広いラインナップが揃うようになりました。



難燃性素材を用いた内装


モータースポーツはクラッシュによる火災のリスクが伴うスポーツです。記憶に新しい事故事例として、2020年のバーレーンGPでのロマン・グロージャン選手のクラッシュがあります。衝撃的なクラッシュからの奇跡的な生還を果たした彼ですが、その背後には難燃性素材の存在があります。

引用元 : Bellヘルメット公式サイト
F1を始めとした4輪モータースポーツでは、レーシングスーツやアンダーウェアにはノーメックスと呼ばれる難燃性の生地が使われています。もちろん4輪用ヘルメットの内装にも使われており、この難燃性素材をまとうことで素肌の直接的な火傷を防いでくれます。ノーメックスはデュポン社によって1960年代に開発され、モータースポーツだけでなく消防士や空軍パイロットの防護服など多くの産業で活用されています。また、最近はヘルメット内装にカラーバリエーションが用意されるなど、安全性向上だけでなく商品性向上の取り組みも見られるようになりました。

バイザーロック機構の登場


クラッシュ時、ドライバーは大きな衝撃を受けることになります。先述したロマン・グロージャンの事故では、最大67G(重力の67倍)もの衝撃だったそうです。このような悲惨な事故でもヘルメットはドライバーの頭部をしっかり守らなくてはなりませんが、ヘルメットの開口部から見える顔も保護しなくてはなりません。

このような大きな衝撃を受けた際にヘルメットのバイザーが期せずして開いてしまったらどうなるでしょうか?ドライバーの目と鼻が炎にさらされるだけでなく、破損した部品による受傷のリスクも十分に考えられます。そこで登場したのが、バイザーロック機構です。これまでもロック機構はあったものの、新しく登場したロック機構はバイザーを開く前にワンアクション必要となる構造となっています。


各メーカー毎にその機構は異なりますが、アライの場合は『ロック機構のレバーを引く⇒バイザーを上げる』となっています。アメリカのBELL社製ヘルメットでは、強固なロックと軽量性を兼ね備えたシンプルな機構となっており、各社のバイザーロック機構の考え方に違いがあり、とても興味深いです。

おわりに


最後に僕から読者の皆さんへのお願いを書いて今回のブログを締めたいと思います。大切な命を守るヘルメットには使用期限があるのをご存じでしょうか?ヘルメットに使われている衝撃吸収材は経年劣化により硬化してしまいます。このため、使用期限を過ぎてしまうと本来の安全性能を担保することが出来ません。

外装に傷がなく、購入して以来一度も衝撃に晒されたことがなくキレイに使用していたとしても、ヘルメットの性能劣化を防ぐことは出来ません。オリジナルペイントを施したヘルメットなどには愛着があるかも知れませんが、定期的な買い替えを強くオススメします。

今回のブログでは素材と機構の観点からヘルメットの安全性について解説しました。1994年の頃に比べ、現在のヘルメットは大きな進化を遂げました。しかし、安全性の追求に終わりはありません。今後もヘルメットメーカーの継続的な改良・改善から目が離せませんね。

[おわり]

2021年4月23日

F1なるほど基礎知識【F1とヘルメットの歴史①】

[重要なお知らせ(Important notification)]

ヘルメットを使うスポーツと言えば?


ヘルメットを使うおなじみのスポーツと言えば、日本では野球が挙げられると思います。野球ではチームの各選手が共通デザインのヘルメットを使っており、チームとの一体感を表現することに役立っています。 また、安全面では頭部へのボールの衝突を想定しており、競技中の視認性確保の観点からオープンフェイス型のヘルメットが使われています。

Aston Martin F1 Teamのドライバー2人の2021年仕様ヘルメット
一方、F1を始めとしたモータースポーツで使われるヘルメットは、他のスポーツと比べて少し特異な位置づけにあり、『デザイン』と『安全性』という点でその特徴を語ることができます。F1ではレース中に時速300kmを超える速さで走るので、『安全性』という点では最先端の技術が応用されています。一方、『デザイン』については、その時代背景に応じた興味深い変化が起きています。

今回のブログテーマでは、これら二つの視点に着目し、F1におけるヘルメットの歴史について解説します。

F1黎明期のヘルメット


まずは1960年頃のF1で使われていたヘルメットに注目してみましょう。写真は1961年のスターリング・モス選手です。当時のヘルメットは建設作業で使用されるようなオープンフェイスタイプのヘルメット。目を保護するためにゴーグルも装着して走行しています。現在のヘルメットと比べるとかなり雰囲気が違いますね!

MossLotusClimax19610806.jpg
CC BY-SA 2.0 de, 引用元:Wikipedia
現在のF1マシンの走行性能には及ばないものの、当時のF1マシンの平均速度は200km/hで最高速度は300km/hほどでした。この走行速度を考えれば、当時のヘルメットの安全性は十分であるとは言えません。事実、1960年代のF1では7名の尊い命がレース中の事故で失われてしまいました。事故の原因は様々ですが、このような悲しい事故がヘルメットの安全性向上の機運へと繋がっていきます。

一方、そのデザインに注目するとスターリング・モス選手のヘルメットはとてもシンプルで真っ白…(汗)。スポンサーロゴすらもありません。というのも、当時のF1ではマシンを広告塔として使うという文化が始まっておらず、各チームのロゴ、チーム国籍のナショナルカラーなどが車体に描かれるのみという時代だったのです。


1970~80年代のヘルメット


この時代のF1ドライバーのヘルメットはフルフェイスとなり、バイザーも装着されるようになります。その形状と構成は現代のヘルメットにかなり近くなり、ドライバー独自のカラーリングデザインが施されるようになりました。次の写真は1976年のモナコGPでティレルP34を駆るジョディ・シェクター選手です。やはり真っ白なヘルメットと比べると華やかに見えますね!

引用元:F1公式サイト © Sutton Motorsport Images
そのクオリティはというと…まだまだ改善の余地がたくさんあったと思います。例えば、この時代のヘルメットは通気性が悪く、雨の日はバイザーが曇りやすかったようです。このような機能性の課題はあったものの、フルフェイス型ヘルメットの導入により、安全性は飛躍的に改善されていたと言えるでしょう。

一方、1970年代のF1は空力デザインの進化によりコーナリング性能も向上していました。当然、走行性能向上に伴いヘルメットの安全性もそれを超える勢いで改善されなくてはならないのですが、残念なことに当時のヘルメットの安全性はマシンの進化レベルには追い付いていなかったようです。結果的に1970年代のF1では8名の死亡事故が起きてしまいました。

2017 FIA Masters Historic Formula One Championship, Circuit of the Americas (23970306838).jpg
CC BY-SA 2.0, 引用元:Wikipedia
もちろん、全ての事故がヘルメットの安全性に起因している訳ではありませんが、いくつかの事故ではヘルメットの安全性が現代レベルであれば、悲しい結末にはならなかったも知れません。

今回のまとめ


F1が始まった1950年代から1980年代にかけて、ヘルメットの安全性の重要度が認知され、安全性が向上しました。デザインについてもF1の商業面での変化から色鮮やかなカラーリングが施されるなど、大きな変化が見られました。

しかし、安全性への飽くなき追及に終わりはありません。F1ドライバーにヘルメットを供給するヘルメットメーカーたちは日々ヘルメットの安全性向上に必死に取り組むのですが、再び悲しい事故が起きてしまうのです。そう、1994年に開催されたF1サンマリノGPで起きてしまった、あの二つの事故です。

次回のブログでは、あの事故をきっかけに1990年代以降のヘルメットがどのような進化を遂げたのか解説します。次回更新をどうぞお楽しみに。

[つづく]

2020年11月6日

本田技術研究所への想いとメッセージ

[重要なお知らせ(Important notification)]


はじめに。


2020年10月2日、ホンダがF1活動の終了が発表されました。このニュースを知った時、僕はイヤな予感が当たってしまった…と思いました。この発表以前から2022年以降のF1活動継続の発表がなかったので『もしかしたら…』という気がしていたからです。

ある程度予感していたからでしょうか。ホンダのF1活動終了を知っても、その時は『とても残念』という以上の感情は起きず、不思議と動揺することはありませんでした。

McLaren MP4/4
(引用元:ホンダF1公式サイト)
とは言ったものの、僕にとってホンダは中学生の頃にF1への夢を与えてくれたとても大切な存在。F1の世界で彼らと競い合うことは自分にとって仕事への大きなモチベーションの一つになっていましたし、ホンダF1で活躍する友人には負けまいと意気込みながら仕事に取り組んでいました。

そんな彼らがF1から来年末にはいなくなってしまう。この事実をどう受け止めるか?そして、どう言葉にするか?頭の中の整理にちょっと時間が掛かりましたが、僕のホンダF1への想いとメッセージを今回のブログに書きたいと思います。

技術研究という原点。


今回のホンダF1活動終了に関して様々な視点での記事を読みましたが、僕は一人の技術者として今回の事態を見つめることにします。その前に、ここでホンダの原点を振り返ろうと思います。

『本田技術研究所』

これがホンダの会社の正式名称(技術開発系)です。日本国内の自動車メーカーの中でも少し雰囲気が異なり、社名に『技術』、『研究』という言葉が含まれています。いかにも理科系バリバリの会社という感じがします。

ホンダジェット
(引用元:本田技研工業公式サイト)
その社名に『自動車』という言葉が含まれていないことから分かる通り、ホンダは自動車の開発・販売のみを生業とする企業ではないことは良く知られています。2輪、ロボット、航空機、発電機など、その技術領域は多岐に渡ります。このように、本田技術研究所の本来の使命は『様々な技術・研究を通じて社会に貢献すること』と言えると思います。


F1はホンダのDNAか?


率直に言うと、この問いはホンダに投げかける問いとして適当ではないと僕は考えています。もし、僕が彼らに問いを投げかけるとしたら『技術と研究はホンダのDNAか?』です。恐らく本田技術研究所で働く全ての技術者はこの問いに対し『Yes』と答えるでしょう。いや、そうでなくてはなりません(もし、そうではない人がいるならば由々しき事態ですが…)。

確かにホンダには長きに渡るF1での歴史と輝かしい実績がありますが、歴史的慣行としてF1に参戦することがホンダが負うべき使命ではありません。なぜなら、ホンダの技術者にとってF1参戦はあくまで技術・研究の尖った実力を培うための少々特殊な手段であり、F1に参戦していることが目的ではないからです。

Red Bull RB16
(引用元:本田技研工業公式サイト)
そして、本来のホンダのDNAである『様々な技術・研究を通じて社会に貢献すること』が果たせなくなるのであればF1を去ることもまた、正しい決断だと僕は思います。

正直なところ、今回のホンダF1活動は始まりから終わりまで決してスマートだったとは言えません。また、今回の決断は『F1はずっと続ける。F1はホンダのDNAだ。』という始まりの言葉を信じたモータースポーツファンに対する背信行為なのかも知れません。僕も一人のモータースポーツファンとして残念に思う気持ちは皆さんと一緒です。

しかし、今一度ホンダの抱く『夢』を皆さんに見つめ直して欲しいのです。

一つではない夢が技術者たちにはある。


F1を筆頭にクルマの極限性能を追い求めるホンダ。2輪ではスーパーカブからCBRまで幅広い製品を世に送り出し、発動機を活用したパワープロダクトや、和光研究所でのホンダジェットやASIMOの開発など、彼らの技術研究は多岐に渡っています。

このことが意味すること。それはホンダの技術者たちはF1以外にも、たくさんの夢を追求し続けているということです。その夢はホンダがF1で勝つことと同等か、もしかしたら、それ以上に大切な夢かも知れません。

『この技術課題をどうやって克服すべきか…』
『そうだ、この手法なら何とかなるかも!』
『ダメだ…これだと残る目標性能が達成できない…』
『よし、皆で論議しよう。ワイガヤだ!』
『ん?…これは解決策になるんじゃ…?!』
『出来た!やったぞ!目標達成だ!』

こんな風に壁にぶち当たっては転び、その度に起き上がり、課題解決や目標達成に挑戦することが技術者たちの日常なのです。また、ホンダでエアバッグ開発の第一人者となった小林三郎氏のように一つの夢の実現に技術者人生の全てを費やすことも決して珍しくありません。

ホンダがF1活動で勝利を目指すことはF1活動に関わるホンダの技術者にとって確かに夢のあることですが、一方でF1に携わっていない技術者にもそれぞれに叶えたい大切な夢があるのです。そのことをモータースポーツファンの皆さんにも知って欲しいと思います。今のホンダはそんな技術者たちの夢を力強く支援しなくてはならない時にある、僕は今回のホンダの決定をこのように理解しています。


最後に。


残念ながらF1はホンダにとって優先度の高い夢ではなくなってしまいました。しかし、今回の決断で多くのホンダの技術者たちの夢が叶うのであれば、とても素晴らしい決断であったといつかは言えるようになるはずです。もちろん、F1から去るからにはホンダがこれから挑戦する目標は絶対に達成して欲しいですし、期待を大きく超える成果で世界をあっと驚かせて欲しいと思います。

夢の実現に挑戦すること。忌憚なく言えば、ホンダの技術者にとってはそれがF1という舞台であるかどうかは最重要ではないのかも知れませんが、全てのホンダの技術者の皆さんの今後の健闘を祈りつつ、今回のブログを締めたいと思います。

最後までお読み頂きありがとうございました。

[おわり]

2020年5月26日

F1的な就職活動のススメ【F1とメディア】

[前回のブログ]
[重要なお知らせ(Important notification)]


はじめに。


今回のブログのテーマは『F1とメディア』です。Twitterで『F1を始めとしたモータースポーツのメディアやジャーナリストを目指している人ってどれくらいるのかな?』と呟いたところ、想像以上の反響があったのでこのブログ記事を執筆することにしました。

イギリス人F1ジャーナリスト
(引用元: Sam Collins's twitter)
まず最初に、これを読む皆さんにお伝えしておかねばならないことがあります。それは、僕自身にメディア・ジャーナリストの経験はなく、あくまで一介のエンジニアでしかないということです。そんな僕がF1やモータースポーツのメディアについて書くことは、実際にメディア・ジャーナリストとして活躍されている方々に対し、とても畏れ多いことだと考えています。

それゆえ、このテーマで書くことはこの一回限りとするつもりです。また、今回のブログの目的は、ジャーナリズムの世界を目指す若い人たちを勇気づけること、将来に向けてキッカケとなるヒントを、F1の世界にいる側の人間として提供することです。そして執筆に当たり、メディア・ジャーナリストとして活躍されている方々へ最大限の敬意をここに表しつつ、執筆することをご理解頂ければ幸いです。

少々堅い書き出しとなってしまいましたが(汗)、最後まで読んで頂ければ幸いです。

まずは課題から洗い出してみよう。


僕がF1の世界で働くようになって以来、『F1ジャーナリストになってみたいが、どうすれば良いのか分からない…』という嘆きにも近い質問をもらうことが多く、そのことが強く印象に残っています。社会人経験のない学生にとってはそもそも進学の悩みの方が大きく、考える余裕がないでしょうし、社会人として働いている人にとっても就職活動で希望の会社に入れなかった…など様々な事情があると思います。

そんな悩みを抱えている方々に代わり、僕なりの考え方を今回のブログでは共有してみたいと思います。

では、F1ジャーナリストの世界を目指す上で、どんな能力やスキルが必要になりそうか?細かい課題は数多あるかと思いますが、僕なりにその課題を次のように大きく三つの課題に分け、体系的にまとめてみました。

① 情報収集能力
② 知識力・情報量
③ 情報発信能力


ポイントは『体系的にまとめた』ことで、上の序列はそれぞれの重要性を表してはいません。どういうことか?それを次の図で説明します。

2020年5月14日

僕の未来とF1と。

[重要なお知らせ(Important notification)]


変わりゆく世界の中で。


『もうこれまでの世界ではなくなってしまうのかも知れない。』

こんなことを人生で二度も考えることになるとは……かつての僕は想像できただろうか?一度目は2011年の東日本大震災と原発事故。放射能汚染が東北地方を中心に東日本でも問題となり(もちろんそれは今でも決して解決できていないのだけれども)、小さい可能性ながらも自分の生命が脅かされた瞬間だった。

(引用元:F1公式サイト)
そして、今回の新型コロナウイルスの世界的なパンデミック。

ブログを書いているこの瞬間もたくさんの人が様々な苦難に直面していると思う。幸いなことに、ロックダウンで封鎖された世界でも僕は健康に過ごすことができているが、万が一感染した場合には自分の生命が助かるという保証はどこにもない。

そんな状況の中、残念ながらネットやニュースには真偽の分からない情報、批判、批難に溢れている。その真偽や賛否をここで論じても全く不毛なので、そのことには触れず、これからの未来をどう考えると良さそうか?前進する気持ちを鼓舞するためにも、自分の考えをちょっとだけまとめてみたいと思う。

僕たちが想像する世界。


今、あなたはどんな夢を持っていますか?その夢を達成するためにどんなことを頑張っていますか?そしてその夢はどんな風に達成されると想像していますか?

『明確にではないけど、何となく…』とか『いや、全く想像もつかん(汗)』など、色々あると思うけれども、ここで僕の最近のツイートを紹介したい。


ここで僕が言いたいのは、実際に訪れるであろう未来は僕たちが想像する以上の世界になることがほとんどだと言うこと。願わくばその世界は良い方向であって欲しいけれど、コロナウイルスのパンデミックや震災など悪い方向もある。

残念ながら、自分たちがどんなにあがいてもコントロールできない状況は確実にある。けど上にも書いたように、その世界が自分が想像する以上に、なおかつ良い方向に実現する可能性だってもちろんある。


過去を振り返ってみると。


現役での大学受験では全て不合格となり浪人したこと。 でも、諦めずに一年の浪人を経て慶應理工に合格できたこと。

レーシングカートに没頭するあまり留年しそうになったこと。 でも、大学院入試ではトップ10に入る成績で合格できたこと。

新卒で三菱自動車に入社してキャリアスタートしたこと。 でも、二度目のリコール隠し事件を当事者側として経験したこと。

念願叶って三菱WRC活動に仕事で関わる機会に恵まれたこと。 でも、2006年に三菱がWRC活動からの撤退を決定したこと。

日産自動車入社直後は自分の実力の無さを痛感して泣いたこと。 でも、本当に素晴らしい仲間に恵まれて成長できたこと。

フランスのエンジニアリング会社に転職し、ヨーロッパに移住したこと。 でも、上司と衝突して期せずして解雇されたこと。

失意の中、F1の世界にエンジニアとして入れたこと。 でも、今はコロナウイルスによりF1が開幕できずにいること。

でも、でも、どうだろう?

過去を振り返れば、決してネガティブなことだけじゃなくて、ちゃんとポジティブなことが起きていて、幸運なことにポジティブな方でちょっと貯金が出来ているじゃないか。

自分の限界は自分の想像の外に。


今はちょっとネガティブなことが起きている。けど、その先には僕たちが想像する以上のポジティブな何かがきっと待っているんじゃないだろうか?

それはどんなポジティブ?

いや、そんな野暮な想像はやめよう。それは想像を超えてくるに違いない。だから今は考えずに突っ走る時なのだと思う。ポジティブな何かがいつか起きると願いながら、小さなことでも良いから可能性を追い求めてみようじゃないか。自分がどこまで出来るのだろうか?その限界はどこ?そんな考えも想像の外に置いてしまえばいい。

RP20 (引用元:F1公式サイト)
僕は新型コロナウイルスのパンデミックが起きたことで、F1というスポーツがたくさんの人たちの心を潤していることを知った。世界中から求められていることを知った。だから、これからどんなネガティブなことが起きようと、それでもF1は続いていく訳だ。

そして僕の責務はF1エンジニアとしての仕事を続けていくことだ。

だから、約束しよう。ファクトリーのシャットダウンが解除され、仕事が再開されたら僕は再び全力で仕事に取り組もう。

F1を待ちわびるファンのみんなのために、新型コロナウイルスではない、歓喜のパンデミックを引き起こしてみせようじゃないか。

[おわり]



2020年3月25日

F1ナルホド基礎知識??【F1とシンギュラリティ】

[重要なお知らせ(Important notification)]


技術的特異点(シンギュラリティ)とは?


シンギュラリティ(Singularity)という言葉をご存じだろうか?

この言葉の意味するところは多岐に渡るが、最近では技術的特異点として認識される機会が多いのではないだろうか。つまり『人口知能(Artificial Intelligence)の自己進化により、究極的な能力を発揮し始めるポイント』と言う意味だ。近い将来、多くの仕事がAIに置き換わると言われている。

本ブログは上の画像をしっかりと確認した上で読むことを強く推奨
一方、数学・物理学的にシンギュラリティと言えば、状態空間方程式などマトリックスを用いた演算において、行列式がゼロ(detA=0)となり解が存在しないことを意味する。方程式として特異な点があるというわけだ。

つまり、シンギュラリティとは、対象となる系において何らかの特異点が存在すると言って良いだろう。

では、F1においてシンギュラリティとは何を意味するのであろうか?今回のブログでは、将来的にF1に訪れるかも知れないシンギュラリティについて、いくつかの技術的側面から考察してみることとする。

車両運動数値解析におけるシンギュラリティとは?


ご存じの通り、現代のF1ではドライビングシミュレータを使った車両性能開発はもはや必要不可欠と言って良いだろう。残念ながらその開発の舞台裏をこのブログで紹介することはできないが、シミュレーション技術における一般的知識の範囲で解説する。

車両運動シミュレーションでは様々なコンポーネントがモデル化されている。それらはほとんどの場合、様々な非線形特性を持つ。ここではごく簡単な例としてダンパーを紹介する。

ヤマハ パフォーマンスダンパーの内部構造
(引用元:ヤマハ発動機株式会社)
一般的にダンパーはストロークの速度に応じて力を発生するが、ダンパー内にシートバルブを設けることで意図的に発生する力を変化させることもできる。このため、必ずしも速度に比例した力を発生するわけではなく(つまり減衰係数が一定値ではない)、発生する減衰力は速度に対して非線形特性を持つ。

それだけではない。ダンパーのピストンとシリンダー間に発生する摩擦力は、数値解析において不連続性の原因となる。また、ダンパーは作動時間の経過に伴い熱を発生するため、それもまた減衰力特性を変化させてしまう。

このような非線形特性と依存性は陰解法を用いた車両運動数値解析においてシンギュラリティの原因となり、しばしば演算停止または演算負荷の過度な増加の原因となるのである。もちろん、陽解法であれば短時間で解に辿り着けるが、陰解法に比して解の精度が良くないという課題がある。


空力開発におけるシンギュラリティとは?


2000年代になり圧倒的に飛躍してきた技術がある。それがCFD(数値流体計算力学)である。CFDの基礎方程式として有名なNavie-Stokes方程式が提唱されたのは1845年であり、実のところ、流体の挙動を解き明かす理論は100年以上前に先人たちが到達していたのである。

Navie-Stokes方程式
(引用元:株式会社ソフトウェアクレイドル)
しかし、当時はその方程式を手計算で解くなど不可能であった。なぜなら10秒ほどの流れ場を計算するために、現代の計算機であっても数日ほど必要とすることもあるからだ。仮に手計算で取り組むとすると、一生かかっても計算を終わらせることはできないだろう。

つまり、計算機が必要不可欠なのであるが、その計算機の登場は1845年から95年後の1940年、Alan Turingによって開発されたbombeまで待たなくてはならなかった。

デジタルコンピュータの元祖Bombe
(引用元:Wikipedia)
もちろん、1940年当時の計算機でもNavie-Stokes方程式を解くことは不可能であり、CFDとして意味のある計算結果が得られるようになるまで更に60年ほどを要したのである。そういった意味では、空力開発のシンギュラリティはごく最近起こったと言っても良いかも知れない。

なお、ここで言う『Navie-Stokes方程式を解く』とは一般解を求めることではなく、一定の前提条件の下、陰解法で漸近的に数値解析するという意味であることに留意されたい。なお、一般解を導くことができた方はクレイ数学研究所へ報告すると良い。

今後、レーシングカーに求められるシンギュラリティとは?


正直に告白すると、私はこれからF1において起こるであろうシンギュラリティの存在に気付いていた。しかも、それは私が中学3年生だった1992年のことであった。

レーシングカーに限らず、クルマとはタイヤが路面に接地していることが運動の前提条件となる。いや、むしろ基本原理・原則と言って良いだろう。しかし、その原理・原則が根本から覆されてしまったとしたら?

それは正に今回のブログテーマであるシンギュラリティそのものだろう。もしくはラプラスの箱と言っても良い。

今、このブログを読んでいる皆さんに、ここでお願いしたいことがある。28年前に僕が気付いたというシンギュラリティを今から紹介するが、そのことについては秘密にしておいてもらいたいのだ。

この約束を守ってくれる人はこのページをしばらくスクロールして欲しい。あなたはいずれF1の世界に訪れるであろうシンギュラリティの真実を知ることになる。















宙に浮いてもコーナリングフォースを発生する
驚異的なカート
[おわり]

2020年3月15日

F1なるほど基礎知識【F1とその最高速度】

[重要なお知らせ(Important notification)]


はじめに。


F1には大きな魅力がたくさんありますが、その魅力の一つに最高速度が挙げられます。その数値は時速350kmを超え、加減速や旋回速度などトータルで考慮すると、地上を走る乗り物としては最速と言っても過言ではないと思います。

画像引用元:F1公式サイト
今回の『F1なるほど基礎知識』では、F1の速度について注目し、その基本を解説してみたいと思います。速度について知れば、レースを見る視点がいつもと違ってくるかも?知れません。

まずは比較してみよう。


何か物事を理解しようとするとき、効率の良いやり方の一つは『身近なものと比べてみる』ことでしょう。ここでは二つの身近なモノとF1を比較してみることにします。

自然現象との比較『台風』

僕がF1の凄さを説明する時によく引き合いに出すのが台風です。最近は非常に強い台風が日本を直撃するようになりましたが、2019年に関東地方を直撃した台風21号の最大風速は秒速50mです。これを時速に換算すると時速180kmになります。

引用元:NASA公式サイト

つまり、非常に強い台風だとしてもF1の最高速度のおよそ半分の風速しかないのです。しかもF1のラップ平均時速は230km/hほどなので、F1マシンとドライバーは台風をはるかに凌ぐ風圧を受けながら走っていることになります。

そして、その速さを生かし、想像を絶するほどのダウンフォースをF1マシンは生み出しているのです。

他の乗り物との比較『新幹線』

地上を走る乗り物で身近な存在と言えば新幹線です。その最高速度は東北新幹線の時速360kmで、F1とほぼ互角と言えます。しかし、F1は直線だけではなく旋回性能が圧倒的に高いことも特徴の一つです。

JR West 500 W8

鈴鹿サーキットの名物コーナーの一つに130Rというコーナーがありますが、この130Rはコーナーの半径が130mであることを意味しています。この130RをF1マシンは時速300kmを超えるスピードで駆け抜けるのですが、新幹線はこのような旋回半径をF1と同じような速度では走れません。 新幹線の場合、400~2000Rほどの半径でも速度を落とさざるを得ないようです。

もちろん、新幹線の用途と重量を考えれば、F1との直接比較そのものに大きな意味はありませんが、少なくともF1が凄まじい風圧の中で強烈な旋回性能を発揮していると言えます。


最高速度は重要か?


さぁ、いよいよ今回のブログテーマの核心に迫ります。F1関係のメディアやテレビ中継では、レース中や予選中の最高速度が紹介されています。次の表は2018年の日本GPでの最高速度をまとめたものです。速度の計測ポイントは130Rの先です。

2018年 日本GP予選トップスピードランキング
この表から分かることは、最高速度の高さが必ずしもラップタイムの速さに直結していないことを物語っています。F1を良く知るコアなファンの方にとっては『コーナーでのダウンフォースを増やしているのだから、最高速度が伸びないのは当然だよ。』という考えが思い浮かんだと思います。

しかし、それだけでは最高速度の重要性を正確に論じたとは言えません。次節でグラフを使ってもう少し詳しく説明してみることにします。

ポイントはコーナーからの立ち上がり速度


ここでちょっとした想像をしてみましょう。F1マシンが鈴鹿サーキットのシケイン、そして最終右コーナーを駆け抜け、ストレートで加速していく様子をイメージしてください。 そして次のグラフを見てください。

車速の時間変化
赤線は高ダウンフォースで、高ドラッグ(大きな空気抵抗)を表し、コーナーは速いけれども最高速が伸びないセッティングA。一方で青線は低ダウンフォースで、低ドラッグ(小さな空気抵抗)を表し、コーナーは遅いけれども最高速が伸びるセッティングB。

このグラフを見れば、セッティングBで最高速を高めても、7.2秒間もの間、セッティングAに対して遅い速度でガマンしなくてはなりません。こうなると、速度で追いつく前にストレートで距離の差をつけられてしまうのです。

コーナーの最低速度をとにかく高めること重要
ここでポイントとなるのはコーナーを駆け抜ける際の最低速度です。手っ取り早くラップタイムを短縮したいなら、ある程度は最高速度を犠牲にしつつ全体的にダウンフォースを増やし、最低速度を高めれば良いわけです。これが必ずしも最高速度が重要ではないという理由です。

そうだとしても!(まとめ)


『なるほど、最高速度を多少は犠牲にしてもいいから、コーナーを速く走れるようになればいいわけね。簡単な話じゃん?』そう思った人もいるかも知れません。しかし、妥協することなく速さを徹底的に追及するのがF1です。

『コーナーも速くして、最高速度も高めたい。』

二律背反する性能を実現するためにはどうしたら良いのか?それを実現するために各チームはマシンに様々な工夫を凝らしています。果たしてどんな工夫がなされているのか…残念ながらこれ以上のことは書けませんが、一つだけ言えることがあります。

『幾多の革新的な技術アイデアがF1マシンには盛り込まれている。』

ということです。妥協を許さず、至高の技術を実現すること。これがF1における技術スポーツなのです。

[おわり]

2020年1月19日

『GP500 フォーミュラ1の記憶』を訪問して

[重要なお知らせ(Important notification)]


はじめに。


昨年末の冬季休暇中、熱田護氏の『GP500 フォーミュラ1の記憶』を訪問しました。いつもはシルバーストーンのファクトリーで開発業務の仕事をしている僕は、トラックサイドの仕事に出向く機会は少なく、現場の熱気からはちょっと距離のある仕事です。

Ayrton Senna 『GP500 フォーミュラ1の記憶』にて著者撮影
そういったこともあり、トラックサイドで発せられるF1の"熱気"を、熱田護氏がどのように表現するのか?とても興味があり、訪問を楽しみにしていました。今回のブログでは、素晴らしい作品に彩られたギャラリーで僕が感じたことを、印象に残った3点の写真*とともに紹介したいと思います。

[*注記]本ブログに掲載の画像はギャラリー内の写真を撮影したもので、熱田護氏の全来場者へのご厚意により数点の作品に限り携帯での撮影が許可されています。

JORDAN EJ12


EJ12 『GP500 フォーミュラ1の記憶』にて著者撮影
まず最初に紹介したいのがJORDAN EJ12です。佐藤琢磨選手がF1デビューを飾ったマシンであり、日本人との特別な縁を感じたことから印象に残った一枚として選びました。

佐藤琢磨選手が搭乗した他にもJORDAN GPに所属する日本人エンジニアたちが開発にも携わったマシン。そのマシンが生まれたファクトリーで今僕はエンジニアとして働いているのです。 この写真を見て『ああ、ようやく自分もこの世界に辿り着いたんだよなぁ…』と実感させてくれる作品でした。


雨のドニントンパーク、McLAREN MP4/8


McLAREN MP4/8 『GP500 フォーミュラ1の記憶』にて著者撮影
僕と同年代のF1ファンの方なら確実にこの写真に惹かれることでしょう。1993年、ドニントンパークサーキットで開催されたヨーロッパGP。多くの人がこの伝説的なレースを語りつくしており、僕はもはやこのレースを形容する言葉がありません。

イギリスに住んでいると、雨の日が多く憂鬱になることも。しかし、そんな憂鬱なイギリスの気候が生み出したのが偉大なるアイルトン・セナの伝説。イギリスでの雨の日はセナの走りに思いを馳せることができる。こんな風に思えれば、この国の天気も案外悪くないのかも知れません。

『雨の日はセナへの思いとともに前向きに頑張ってみよう。』

そんなポジティブな気持ちにさせてくれる素晴らしい写真でした。

セナ、最後の日


Ayrton Senna 『GP500 フォーミュラ1の記憶』にて著者撮影
なぜ彼だったのでしょうか?前日の予選ではローランド・ラッツェンバーガーが不慮のアクシデントで天に召され、決勝ではアイルトン・セナが何かに取り憑かれたようにタンブレロで逝ってしまいました。

セナの胸にどんな思いが去来していたのか、この写真を見れば彼の心の内がちょっとだけ見えるような気がしました。瞳が潤んでいることから、悲しみが心にあったのは想像に難くありませんが、それだけではない様々な感情が入り混じっていたのでしょう。

彼はもういません。多くの人々が悲しみました。もうこんな悲劇を繰り返さないようにしなくてはなりません。モータースポーツも含めモータリゼーションの中で人の命が失われないよう、一人のエンジニアとして尽力していきたいと思います。

アイルトン・セナが失われた悲しさに思わず涙がこぼれそうになりつつも、人の命を守るという想いも新たにさせてくれた写真でした。

終わりに。


まずはこの展示企画『GP500 フォーミュラ1の記憶』の運営関係者各位、そして熱田護氏に心より感謝の意を表したいと思います。素晴らしい写真を見せて頂き、本当にありがとうございました。

F1エンジニアになって関わったレースはまだ62GPしかありません。500GPには程遠いですが、僕も熱田護氏と同じように一歩一歩、F1での歴史を築き上げていこうと思います。

しかし、僕の経験したGP数と熱田護氏のGP数の差が縮まることはあってはなりません。GP現場で撮影に勤しむ熱田護氏の活躍を今後も楽しみにしています!

[おわり]

2019年12月14日

F1ヨーロッパ探訪記【ミルトン・キーンズ編】

[重要なお知らせ(Important notification)]


日々の生活とF1と。


僕の住んでいる街は、ノーサンプトン州(Northamptonshire)のブラックリー(Brackley)。ロンドンから120kmほど離れており、のどかな田舎町です。 お隣はバッキンガム州やオックスフォード州ですが、これらの地域には、他の地域にはない特徴があります。

(引用元:Racing Point F1 Team公式HP)
それはF1を始めとした『モータースポーツ』を生活の中に感じれること。今回のブログテーマ『F1ヨーロッパ探訪記』では、イギリスやイタリアなどのF1チームやモータースポーツにスポットを当て『F1チームってどんな街にあるの?』という素朴な疑問に、探訪記スタイルでお届けします。今回取り上げる街はミルトン・キーンズ(Milton Keynes)。さぁ、この街にあるF1チームとは一体?!

ミルトン・キーンズってどこ?


ミルトン・キーンズはロンドンの中心から北北西85kmに位置する街です。ロンドンのユーストン(Euston)駅から電車に乗れば42分ほどで街の中心にあるMilton Keynes Central駅に到着します。

Milton Keynes Central駅
このミルトン・キーンズという街の中心部はイギリスには珍しく近代的な街並みをしています。碁盤目状にキレイに区画整理されるなど、いくつかの画期的なコンセプトの下に都市開発されたそうです。が…街を歩いていると近代的な街並みにどことなくワビサビを感じさせる雰囲気があります。空きテナントもちょっと目立つ街の中心ですが、駅からの徒歩圏内(←と言っても20分)には、日本が誇る彼らの拠点があるのです!


HRD Milton Keynes


そう、Honda Racing F1のイギリス開発拠点のHRD Milton Keynes(←これが正式名称でいいのかな?)です。実は大学自動車部のT先輩がMK開発拠点の立ち上げに携わっていたそうで、それなりの縁を勝手に感じています。

HRD Milton Keynes (敷地内の標識には…)
僕にとっての(←あくまで僕にとっての)HRD Milton Keynesの最大の特徴は、正門ゲートに勤務する女性警備員です。僕は日本から友人が訪問してくると、F1に関連する施設を見せて回るのですが、今のところ100%の確率でこの女性警備員に呼び止められます。

警備員
『ちょちょ、ちょっと、あなたたち!どこから来たの!!』


友人
『あ、日本からです…。(!!もしかして怒られる?!)』


自分
『僕はイギリスに住んでて…友人にHRDを見せてあげたくて…。』


警備員
『あら、そうなの?もうこの辺りは観光したの?!』


友人
『いや、それがまだなんです(汗)。』


警備員
『だったら、あの街に行きなさい。あの街はいいわよぉ~。』


ここから彼女の話は止まりません…(汗)。そう、とってもおしゃべり好きな警備員さんなのです!訪問者が来るとテンションが上がってしまうのでしょう。ちなみにこの女性警備員さんの話好きはHRD Milton Keynesのスタッフ間でも有名(?)だそうで、『ああ、俺も彼女につかまると長いね(汗)』という某F氏の談話も。

残念ながら関係者以外は敷地内には入れませんが、外から眺めることは可能なので、イギリス旅行の際にはHRD Milton Keynesの正門前で警備員さんとのトークを楽しんでみてはどうでしょうか??

ただし…女性警備員の話は長いッス…。

Red Bull Racing


ミルトン・キーンズに所在するF1チームとは?そう、2019年からホンダPUを搭載してF1を戦っているレッドブルF1チームです。過去には日産自動車の高級車ブランドINFINITIと提携するなど、ホンダだけでなく日本人との縁があったF1チームでもあります。

Red Bull Racingのファクトリー正面玄関
とても近代的な外観の建物の正面にはF1マシンがドドーンと展示されています。もちろんファクトリーの中には入れませんが、外から眺めているだけでも『おお~ここで最新のF1マシンが開発・製造・メンテナンスされているのかっ!』と感動すること間違いなしです。

正面玄関脇に飾られているF1マシン(恐らく旧型のRB7)
現在はRed Bull Racingの他にRed Bull Advanced Technologies社の建物も新たに建設されているので、そのファクトリーも外から見学することができます。ブラックで統一された建物外観は圧巻の一言です。

Red Bull Advanced Technologies正面玄関
イギリスは公共交通機関が日本ほど充実していないので、これらのファクトリーを訪問するにはレンタカーやタクシーでの移動が推奨されますが、レースでなくともF1開発の最前線基地を訪れることはF1ファンならば興奮すること間違いナシです。

日本のF1ファンにまずは訪問をおススメしたい街。それがミルトン・キーンズです!

[つづく]

[余談]
※ミルトン・キーンズに住む日本人はミルトン・キーンズのことをミルキンと略します。


2019年11月30日

F1新規参入はなぜ難しいのか?ー第3章ー

[前回のブログ]
[重要なお知らせ(Important notification)]


成功が約束された投資はない。


技術や人材への継続的な投資がなければ、F1チームとして成功することはできない…しかし、その投資が必ずしも成功するとは限らない。そんなことを前回のブログで書きました。これはF1に限った話ではなく、どんな業界、ビジネスであっても必ず成功する投資など存在しないことは自明です。

VJM09 Photo By Morio - Own work, CC BY-SA 4.0
今回のブログでは、約11年に渡りF1チームオーナーとしてF1に関わり、あるチームの技術資産の構築に貢献・成功した男性のちょっとしたエピソードを紹介します。なお、予め断っておきますが、その元F1オーナーと僕には個人的な関わりはなく、ここに書くことはあくまで僕個人の主観的な意見ということをご承知おき下さい。

企業として存在するF1チーム


さて、F1チームはその名称にチームという言葉が含まれていますが、基本的には『企業』として存在しています。僕が現在所属するチームを例に取れば、Racing Point F1 TeamはあくまでF1へのエントリー名で、実際の企業名はRacing Point UK Ltdです。

SportPesa Racing Point F1 Team
社員数を考慮すると、どのF1チームも中小企業に分類されると思いますが、その収益構造(プライズマネーとスポンサーマネー)は一般的な中小企業とは大きく異なります。このため、チーム力を向上させるためには、独特な投資方法が求められることは想像に難くありません。このような経営を前提としたF1チーム経営において、『最も効率的にポイントを獲得すること』を成し遂げた元F1チームオーナーがいます。


ヒトを愛する、チームを愛する。


その元F1チームオーナーは、お金に関連するニュースに度々取り上げられていましたが、実際の人柄はとても温厚な紳士でした。彼がどれほどチームを愛し、大切に想っていたのか?その想いが伺い知れるモノがあります。

次の写真はある年の年間ランキング上位入賞を祝して作られたTシャツです。

元F1チームオーナーのメッセージ①
そこにはこんな言葉が書かれていました。

‘It’s not the amount of arms you have, it is the quality of your weaponry’
(武器の数の多さじゃないんだ、その武器がどれだけ優れているかなんだ)


そして、Tシャツの背面にはこんな言葉も書かれていました。

‘405 Reasons we finished fourth’
(4位でフィニッシュしたことには405人分の理由がある)


元F1チームオーナーのメッセージ②
活動資金には限りがあり、順風満帆な企業経営ではなかったかも知れません。しかし、その元F1オーナーは11年間に渡りチームメンバーを大切に想い、チームの技術的・人的な資産を育てることに重きを置いていたようです。このTシャツからは彼がそんな想いと共にF1で戦い続けてきたことを伺い知ることができます。

情熱と継続性があればこそ。


企業経営は経済的に健全であることが常に求められます。しかし、F1チームの経営に関して言えば、通常のビジネスという枠組みに加え、『F1への情熱』が特に必要であるように思います。今回紹介した元F1チームオーナーに限らず、F1界を見渡せば多くのチームが継続性に重きを置いています。それは情熱があればこそだと僕は考えています。

F1に新規参入し、成功するために必要なこと。

とても陳腐な言葉ですが、『チームを育てるために、情熱的に投資が続けられること』がF1新規参入に求められる本質的な答えかも知れません。その投資は時としてビジネスを度外視しているように見えることもあります。僕はそんな情熱的な投資に感謝しつつ、最大限の成果を出すことでその投資に報いたい…そう思いながら日々のF1開発業務を頑張っています。

[おわり]

2019年11月17日

F1新規参入はなぜ難しいのか?ー第2章ー

[前回のブログ]
[重要なお知らせ(Important notification)]


F1界の諸行無常


前回のブログでは技術の積み重ね、つまり技術資産の重要性について説明しました。なぜ、2010年にF1チームに参入したF1チームは技術資産が構築できなかったのか?そして、技術資産の欠落とF1撤退にはどのような関連性があるのでしょうか?

Caterham Technology社のReceptionにて筆者撮影
今回のブログでは現代のF1チームの特徴に言及しつつ、2014年の最終戦を最後にF1から姿を消したCaterham F1 Teamを題材にF1新規参入の難しさについて解説します。

現代のF1チームの特徴とは?


彩鮮やかなチームユニフォームを着たピットクルー。ピットウォールではインカムを装着したレースエンジニアがドライバーと交信し、様々な指示を出す。ドライバーはサーキットの上で激しいバトルを展開する。

引用元:Racing Point F1公式サイト
多くのF1ファンが思い浮かべるF1の世界のイメージはこんな感じではないでしょうか?このイメージはもちろん正しいのですが、実は表舞台で見られるF1チームはそのチームの全体からすればせいぜい10%ほどでしかないのです。ここで、現代のF1チームの特徴を端的かつ的確に表現するならば、次のような表現が相応しいと僕は考えています。

『レース部門が付帯した自動車メーカー』

つまり、F1チームの根幹は自動車メーカーそのものであり、レース部門はその一部でしかないということです。F1チームで実際に働いてみると、僕がかつて勤務していた日産自動車でやっていたことと本質的には変わらず、たまにF1チームであることを忘れてしまうことがあるくらいです。これが、僕がF1で働いて実際に得られた実感です。


F1チームと技術資産


もし、あなたが十分な資本金を持つオーナーとしてゼロからF1チームを創設することを考えた時、何を最初に準備すれば良いでしょうか?

その答えは『ヒトを集める』ことです。Caterham F1 Teamもまずはそこから始まりました。技術マネジメントとしてF1での経験が長いマーク・スミス氏やジョン・アイリ―氏を招き入れ、エンジニアやスタッフを他チームからヘッドハンティングし、開発体制を整備していきました。

『F1経験者を集めれば、チームとしてすぐに機能するだろう。』

Caterham F1 Teamのオーナーであったトニー・フェルナンデス氏はそんな風に考えていたかも知れません。しかし、一つだけ落とし穴がありました。それは、F1経験者を集めればF1チームとしては機能するが、高性能なF1マシンを作る能力が伴うかどうかは別問題だということです。

By Marc Evans from Newbury, UK - Toyota-Batman, CC BY-SA 2.0
かつて、日本の自動車メーカーもドイツに拠点を置きF1に参戦しました。設備も人材も最高レベルを擁していたものの、彼らが優勝を狙えるトップレベルに登り詰めるまでには7年もの歳月が掛かり、F1で成功することの難しさを痛感したのではないでしょうか。なぜ、難しかったのか?その理由は彼ら自身の歴史を振り返ればすぐに理解できるはずです。

すなわち、ローマは一日にして成らず、長きに渡る自動車開発の歴史こそが世界を代表する自動車メーカーを作り上げたのであり、同じく自動車メーカーであるF1チームも技術資産を積み重ねることが真に大切なのです。

Caterham F1 Teamの実情


以前Twitterでも呟きましたが、僕は2014年にCaterham F1 Teamに加入することが内定していました。しかし、2014年シーズンのチーム成績は不振を極め、破綻へと一歩一歩近付いていたようです。Caterham F1 Teamで当時働いていた友人が言うには『明らかに資金繰りが悪化したことを感じ、チームから離脱することを考えた』そうです。

技術資産は積み重ねてこそ価値が高まるものであり、その醸成には長い時間が掛かります。また、F1チームとして真にパフォーマンスを発揮できるようになるためには、時間に加えて巨額な投資も必要になります。しかし、投資が止まれば崩壊することは必然であり、一瞬にして消え去ってしまうものなのです。

Liefieldのファクトリー訪問時に記念撮影(2012年)
Caterham F1 Teamは残念ながら、技術資産が醸成する前に破綻してしまいました。かつてチームの活動拠点であったLiefieldのファクトリーは現在、廃墟となっています。まさに諸行無常の響きあり…といった言葉が思い浮かばれますが、悲しいことに盛者となる前に衰退しかねないことは、F1界における理の一つなのかも知れません。

[つづきはコチラ]

2019年11月16日

F1新規参入はなぜ難しいのか?ー第1章ー

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はじめに。


F1の歴史を振り返ると、長きに渡って繁栄を続けるチームが活躍する一方、様々なチームが誕生しては消え去っていく…そんな少し悲しい側面を見ることができます。直近10年分のF1の歴史を振り返れば、2010年にTeam Lotus、Virgin Racing、Hispania Racing F1 Team、2016年にはHAAS F1 Teamが新規参入してきましたが、2010年デビューの3チームは全て消滅してしまいました。

By Morio - Own work, CC BY-SA 4.0
これら2010年組の3チームがなぜ、破滅へと導かれてしまったのか?

その要因は一つではなく、様々に絡まり合った複数の要因があることは想像に難くありません。しかし、そもそもF1チームとして本質的な要因が欠けていたのではないか?と僕は考えています。今回のブログテーマでは、F1および自動車メーカーにおける技術文化を論説の軸に置きつつ、僕の考えを書き下ろしてみたいと思います。

2010年の新規参入チーム


まずは2010年に参入してきたチームを紹介したいと思いますが、Wikipediaの内容を転載しても意味がないので(汗)、実際にそのチームで働いた経験を持つ同僚から聞いた話を交えながら紹介したいと思います。

Hispania Racing F1 Team


元々は下位カテゴリで活躍していたカンポスレーシングがチームの起源で、マドリードを拠点に発足した初のスペイン系F1チームです。スペイン系F1チームが発足するに至ったその背景にはフェルナンド・アロンソ選手の影響があります。

By Andrew Griffith from United Kingdom - Bahrain Formula One, CC BY 2.0
アロンソ選手がF1に登場する以前、スペインでのF1人気はそれほど高いものではなかったそうです。しかし、アロンソ選手が著しい活躍をするようになるとスペインでのF1人気が爆発します。その影響はスペイン人エンジニアの就職事情にも影響を与えた程で、多くの若手エンジニアがF1を目指すようになり、現在は多くのスペイン人F1エンジニアがF1業界で活躍するようになりました。

このチームは、イタリアの名門レーシングカーコンストラクターであるダラーラに車体開発を委託していましたが、本来モータースポーツ産業が盛んではないスペインに拠点を置いていたこともあり、人材や活動資本の確保にチーム発足当時から苦戦していたようです。また、経営メンバーの入れ替えに伴いチーム名称を変更するなど、いくつかの悪影響をチーム消滅までずっと引きずってしまったF1チームでした。


Virgin Racing


2010年に新規参入したチームとしては、最も存続期間の長かったのがVirgin Racingです。このチームの特徴の一つにWirth Research社とのコラボレーションが挙げられますが、全ての空力性能開発をCFDで実施するという野心的な試みは有名な話です。名称はVirgin Racingから始まり、いくつかの名称を経てManor Racingへと変遷を遂げ、2016年の最終戦アブダビGPを最後に消滅します。

By Morio - Own work, CC BY-SA 3.0
このチームの拠点はずっとイギリスにありましたが、運営拠点(ヨーク州ディニントン)と開発・製造拠点(オックスフォード州バンブリー)が離れた別の場所にあったため、効率的な活動形態ではなかったようです。2010年に参入したF1チームとしては唯一ポイント獲得の実績があり、活動予算さえ確保できればF1に定着できる可能性があっただけに消滅はとても残念でした。

Manor Racingとなって以来、活動拠点はバンブリーにあるファクトリー(現在はHAAS F1 Teamがイギリス国内拠点として使用)に集約されましたが、チームの規模としては最も小さかったようです。このチームには日本人のエンジニア2名とメカニックが1名所属していましたが、チームの末期には活動予算が限られており、F1チームとは思えないほどの厳しい環境での活動を強いられていたそうです。

Team Lotus


マレーシア人実業家のトニー・フェルナンデス氏によって創設されたのがTeam Lotusです。当時、Lotus F1 TeamもF1に存在しており、Lotusという名称の使用権を巡る係争がありました。その後、フェルナンデス氏は保有するCaterhamの名称使用権を使い、Caterham F1 Teamへとチーム名称を変更します。

By Morio - Own work, CC BY-SA 3.0
残念ながらポイントを獲得することなくチームは消滅してしまいますが、他の2チームと大きく異なるのは、トニー・フェルナンデス氏がCaterham Groupとして、自動車・航空産業にCaterhamのブランドでビジネスを展開していたことでした。Caterham GroupにはF1チームの他、自動車技術のコンサルティング会社であるCaterham Technology、カーボンコンポジット事業を手掛けるCaterham Composites、そして名車Caterham 7で有名なCaterham Carsも含まれていました。

しかし、トニー・フェルナンデス氏は自動車産業でのビジネスの難しさを痛感したのか、Caterham Groupのビジネスとしての可能性に見切りをつけ、事業撤退を決断します。その結果、2014年を最後にCaterham F1 TeamはF1を撤退、Caterham Groupは解体されてしまいました。現在はCaterham Carsのみが存続しており、Composite事業も売却されたようです。

現在、F1業界ではMcLarenやWilliamsがこのようなグループ企業の形態を採用しており、株式も上場するなど、一定の成功を収めていますが、残念ながらCaterham Groupに限って言えば、そうはなりませんでした。

課題は何であったのか?


このブログの冒頭でも書いたように、これらのチームが破滅へと導かれた要因はいくつもありますし、その全てを断定することはできません。しかし、一人のエンジニアとして、自動車メーカーで働き、そしてF1チームで働いた結果、見えてきた一つの本質的な課題があります。

それは『技術資産の欠落』です。

そもそも技術を基幹とした企業が成功を収めるには、それ相応の技術力の高さが求められるのは当然のことであり、瞬間的な技術力の高さだけでなく、過去からの積み重ねも必要です。次回のブログでは、消滅してしまったCaterham F1 Teamの内情を例に、技術資産とF1撤退の関連性について解説します。次回更新もどうぞお楽しみに。

[つづきはコチラ]

2019年3月10日

僕とF1とRCカーと【そしてF1へ】

[前回のブログ]
[重要なお知らせ(Important notification)]

タミヤグランプリでの成果


レース初出場からの1年は鳴かず飛ばずの成績でしたが、マシンの速さをブラッシュアップし、メンタリティの安定化に取り組んだ結果、少しずつ結果が伴うようになってきました。そして初レースからちょうど1年後に参戦したビギナーズクラス(2010年1月23日)。予選を総合1位で通過し、決勝ではAメイン2位表彰台を獲得!惜しくも優勝を逃しましたが、ようやくビギナーズクラスを卒業することができました。

ビギナーズクラスでポール獲得と準優勝したマシン
その後、中級クラスへの参戦を開始し、峠NE'X-グレード3クラス(2010年5月23日)では予選総合3位、決勝では何と初優勝(←人生初)を飾ることができました。その他のレースでも上位メインに入ることが多くなり、成長を実感できた一年になったのです。

余談ですが、好結果を出すことができた日は、その月の23日がなぜか多かったです。日産自動車の社員だったから?かも知れませんが、RCカーの趣味を始めてから僕にとって23日は何となく縁起の良い日になったようです(笑)。

初優勝した時のマシン(R35GT-R/TB03)
翌年の2011年8月21日に開催されたタミヤグランプリ全日本選手権の東京予選大会(出走台数は100台以上!)では、予選を11位で通過し、決勝では6位に入ることができました。この結果を受け、僕は所属するチーム内でのエースの称号を前エースの吉川氏から引き継ぐことになります(笑)。その後は、チームのエース(?)として2015年に活動を休止するまで継続してレースに参戦しました。

一つ心残りになっていること。

それは目標としていたタミヤ主催のワールドチャンピオン戦に届かなかったことです。この目標はいずれ達成したいと思っていますが、今はF1の世界での勝利を夢見ているので、この目標への再チャレンジはもうしばらく後のことになりそうです。

RCカーとの新たな想い出


社会人になってからRCカーの趣味を再開したことで、たくさんの想い出と仲間を作ることができました。タミヤグランプリには、東京大会、横浜大会だけでなく愛知大会と関西大会にも参加していたのですが、関西大会では地元の常連さんと仲良くなり、ピットをご一緒させて頂いたことも良い想い出です。今でも関西大会仲間の皆さんとはFacebookを通じて仲良くさせて頂いています。

真夏の関西大会も仲間のテントのおかげで快適!
共通の趣味を通じて仲間が出来ると、一緒にいる時間を本当に楽しく過ごすことができると思います。それは年齢、性別だけでなく、国籍や人種に区別なく共通しています。フランスで一人暮らしをしていた頃、僕の楽しみの一つはフランス人RCカー仲間との交流でした。予定のない週末になると、バスと徒歩でリヨン郊外のRCホビーショップのサーキットに通っていたのですが、通い続けるうちに彼らと仲良くなったのです。

Lyon郊外のホビーショップのサーキット
フランス語のできない僕のために、苦手な英語で会話をしてくれるフランス人の友人たち。完全な意思疎通はできませんでしたが、心温まる交流ができたと思います。共通の趣味があれば、言葉が分からなくともちゃんと仲良くなることができる。そんなことを肌で経験することができたのも良い想い出です。


進化しようとする気持ち


多くの人にとって、RCカーは趣味として楽しむものだと思います。もちろん、僕もそうなのですが、F1エンジニアになることを目指していた僕にとっては車両運動力学を勉強する良い教材でもありました。そのことは、以前のブログにも書きました。また、RCカーのようなクルマを使った趣味は、中学や高校で学ぶ物理法則を体感できるので、実践的な教育機会にもなると思います。

そして、RCカーの趣味を通じて改めて気付いたことがあります。それは、コンペティション(競争)を伴う趣味は『進化しようとする気持ち』を培えるということです。
    『もっと速く走らせられるようになりたい!』
    『世界選手権に出場できるような凄いドライバーになりたい!』
    『カッコいいボディをペイントできるようになりたい!』
このような気持ちを多くの人が持ったのではないでしょうか?しかも、誰かに言われたり指示されたワケでもないのに、その気持ちが自分の心から自然と生まれてきたはずです。これこそが、趣味を持つことの真の価値だと僕は考えています。

僕の場合、幼少期はミニ四駆のジャパンカップ、青年期はリッジレーサーで地元高円寺のレコードホルダー、成人期はレーシングカートのレース、全ての趣味においてコンペティションが関わっていました。得られた成果はさておき(汗)、『進化しようとする気持ち』を育むことができたと思います。

僕とF1とRCカーと


それが趣味の世界であったとしても、新しい環境に飛び込み、最初の一歩を踏み出すことはとても勇気のいることです。しかし、趣味の世界ではどんなに大きな失敗をしても取り返しのつかないことはありません。プロとしての成果を求められない分、思い切ったチャレンジができるのも趣味の世界です。

僕はRCカーという趣味の世界を通じて様々なトライ&エラーを繰り返し、エンジニアとしての知見を広げてきました。その知見と『進化しようとする気持ち』はF1エンジニアを目指していた僕にとって、大いに役立ってくれました。だから、声を大にして言わせてください。

『RCカーは時として人生を変える力がある。』

僕の成長を支えてくれたRCカーの世界。その世界で、これからもたくさんの方と出会えることを楽しみにしています!

[おわり]

おまけ情報


F1チームで働いて気付いたのですが、自分の所属グループではRCカーを趣味としていたエンジニアが結構います。今後、RCカー仲間をF1チーム内でも募り、ウラF1グランプリの開催を企てております。