2018年6月30日

僕がF1エンジニアになるまで【神様のプレゼント編】

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F1の世界には神様がいる。


皆さんはどう思いますか??F1の長きに渡る歴史の中で、伝説となったレースやドライバーもいるので、何となく『たぶん神様っているんだろうなー』と感じたこともあったかと思います。でも、僕はその存在を固く信じています。なぜなら、フォースインディアF1チームからの結果連絡を待つ僕に、F1の神様は驚きのプレゼントを用意してくれていたからです。

(引用元:ホンダ公式サイト)
もしかしたら、そのプレゼントは天国にいる本田宗一郎さんからのプレゼントだったのかも知れません。宗一郎さんがF1の神様に『アイツ、ちょっと労ってやってくれよ。』と言ってくれたのではないかと…。ホンダとはずっと縁のなかった僕が、そう思わないではいられないほどの奇跡的な出会いが待っていたのです。

今回のブログではそのプレゼントがどんなものであったのか?そして、どんないきさつでそのプレゼントをもらうことになったのか?そのエピソードについて書き綴っていきたいと思います。

始まりは些細な葛藤から。


フランスでF1を目指して修行生活を積んでいた僕でしたが、家族は日本に残っていたので離れ離れの暮らしでした。僕はできる限り無駄遣いを避け、日本に残っている家族に毎月の生活費を仕送りしていました。

ある日のことです。Auchan(オーシャン)というスーパーマーケットでお買い物をしている時のことです。家電好きな僕の目にあるものが入ってきました。それは外付けのオーディオスピーカー。『あ、そういえばテレビの音質が良くないんだよなぁ…』そんな考えが頭に浮かびましたが、続けてこう思うのです。『いや、まぁ、絶対に必要なものでもないし、買うという選択肢はないよなぁ…』と、ちょっとした葛藤に陥ったのです。

結局買っちゃったオーディオスピーカー
その後、普段通りのお買い物を済ませた僕は、気が付くと再び家電製品のエリアに来ていました。そしてオーディオスピーカーのラインナップを改めて確認しつつ、再び葛藤し始めたのですが、もはやその時点では価格と性能のバランスをどこで妥結するか?という『買うこと』が前提の葛藤へと進化していたのです(汗)。

結局、€20(当時のレートで2,800円)ほどのオーディオスピーカーを棚から取り出し『おお、神よ。誘惑に勝てなかった僕をお許し下さい…。いや、許してくれるであろう…』そんな浅はかな考えとともにレジへと向かっていたのです。しかし、無駄遣いとも言えるこのお買い物が、まさか神様からのプレゼントに繋がるとはこの時は全く知る由もありませんでした。


日本への帰国に向けて。


以前のブログで書いたように、会社から契約の延長を拒否されてしまった僕は就労ビザが期限切れになる前にフランスから退去しなくてはなりませんでした。フォースインディアF1チームとの面接が終わり、イギリスからフランスへと戻った僕はすぐに日本への帰国準備を始めました。

住んでいたアパートの解約や家具・家電の処分など、地味にやらなくてはならないが多かったのですが、Facebookに設置されていたリヨン在住者のコミュニティを活用して処分を進めていました。そんなある日、このコミュニティでオーディオスピーカーを譲って欲しいという女性Aさんから書き込みがあったのです。

『良かった!引き取り手が見つかった!』

引き取り手が現れてくれたことにホッとしつつ、Aさんと連絡を取りあって引き渡しの段取りを進めていったのですが、実はAさんについてちょっと気になることがありました。というのも、AさんのFacebookのアイコンが明らかにF1との関連を思わせるものだったからです。また、Aさんの苗字も僕の脳裏のどこかに何か引っ掛かる感じがしたのですが、その時は『たぶんF1好きな女性なんだろうな~』と思うに留まっていました。

リヨンで繋がる"ホンダ"との縁


迎えたオーディオスピーカーの引き渡しの日。待ち合わせ場所はリヨンの旧市街近くにあるHotel de Villeという旧市庁舎の前でした。時間通りに待ち合わせ場所へ現れたAさんに、まずは簡単な自己紹介と挨拶をしてオーディオスピーカーをお渡ししました。

Hotel de Villeに掛かる虹
そもそも安物のオーディオスピーカーだったのでお代の受け取りは遠慮させて頂き、その代わりにスターバックスでコーヒーをご馳走してもらうことになりました。そして、その時に気になっていたことを思い切ってAさんに聞いてみたのです。

[自分]『F1、お好きなんですか?Facebookのアイコンがそれっぽい感じでしたので。』

[Aさん]『はい、大好きですよ!』

いやはや、まさかリヨンでF1好きな女性と知り合うことになるとは…(汗)。それだけでも驚きでしたが、その後の会話で衝撃の事実が2つも発覚するのです。なんと、AさんはホンダF1活動の第二期、第三期において重責を担った方のご息女だったのです。そして、フォースインディアF1チームのCOOであるオットマー・サフナウアーとも旧知の仲だというのです。

フォースインディアF1チームとの面接を終えたばかりの僕にとって、まさかまさかの展開です。Aさんと日本で知り合うというなら十分にありうる話だと思いますが、まさかフランスで、しかもパリではなくリヨンという街で、ホンダに深く関わっている方と繋がりが出来ようとは想像すらしていませんでした。

神様からのプレゼントとは。


その後、僕はフォースインディアF1チームからオファーをもらうことになるのですが、渡英の日程が決まった頃にAさんから連絡があり『家族でヨーロッパ旅行に行くのですが、食事も兼ねてロンドンで父と会いませんか?』とお誘いを頂いたのです。

たまたま都合を着けることが出来たので、そのお誘いに応じさせて頂くことにしました。学生時代からの就職活動を含め、ずっと縁のなかったホンダ。結果的にホンダで働くことは叶いませんでしたが、最後の最後にこういった形でホンダF1で重責を担った方とご縁ができるとは誰が想像できるでしょうか?

お会いしたのはフォースインディアF1チームで働き始める直前の週だったと思います。僕は終始、緊張しっぱなしでしたが、Aさんのご家族との食事は一人のF1ファンとして最高の時間となったのは言うまでもありません。アイルトン・セナのことや第二期、第三期のF1活動で苦労したこと、そして現在のホンダF1についての想いなど、本当に貴重なお話を聞くことができたのです。

極度に緊張してはいましたが、楽しかった食事の時間はあっという間に過ぎ去っていきました。そして迎えたAさん家族との別れ際のことです。Aさんのお父様から『これから大変だと思うけど頑張って!』と激励のお言葉と握手を頂いたのです。

『F1の世界には神様がいる。』

僕はその存在を信じています。F1エンジニアとしての生活がスタートするまさにその時に、最高のプレゼントを僕に贈ってくれたのですから!

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2018年6月17日

僕がF1エンジニアになるまで【第三次転職活動編②】

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最後の鍵を求めて


様々な紆余曲折を経て、ようやく…ようやく掴み取ることのできたフォースインディアF1チームとの面接の機会。この面接で失敗することはF1への道がほぼ閉ざされることを意味していました。そんな状況は精神的にラクではありませんでしたが、不思議と悲観的にはなっていませんでした。

なぜなら、それまでに受けてきた面接を経て自分に足りないものが何なのか?そのことがかなり明確になってきていたからです。その足りないものをきっちりと補うことが出来れば可能性は十分にある…そう感じていました。

僕の取った面接への対策とは…
今回のブログでは、フォースインディアF1チームとの面接に向けて僕がどのような心構えを持ち、どのようなことをして面接に臨んだのか?ということについて紹介しようと思います。

後悔は最初からいらない。


『自分にやれることは全部やりました。残念ながら望んだ結果を得ることはできませんでしたが、後悔はありません。』どこかで聞いたことのあるような言葉ですが、そんな結末を迎えたくなかった僕は、全く異なる意識を持つようになりました。それはこんな意識でした。

『どこまでやれば後悔せずに済み、望みうる結果を得られる?』

誰しも失敗に終わることなど望みませんが、目標を達成するためにどこまでやればいいのか?それを明確にせずに『とりあえず思いつくことをひたすらやってみた』だけでは不十分と考えたのです。もちろん、考えに考えを重ねたところで『どこまでやればよいのか?』という疑問への正解に辿り着くことは絶対にできません。けれども限りなく正解に近づくことはできるはずです。

自分に後悔なんていらない…そう思いつつ自分の課題をとことん見つめなおすことにしたのです。


面接で直面した課題とは?


当時の自分の課題を簡単に表現するのであれば『伝えるべきこと』、『伝えたいこと』が相手に伝わっていないということでしょう。自分のCV(履歴書)に関しては多くのアップデートを重ねて改善した結果、読み手に自分の技術力や強みが伝わるようになっていたのですが、肝心の面接となるとイマイチという状況でした。

そもそも英語が母国語ではないので、他の候補者と比べると表現力という点ではまず敵いません。この課題に対して僕がどのような対策を取ったのか?それをここで紹介しようと思います。

作成した面接用の資料
①説明のストーリーラインを設計する
僕が受けた面接で全てに共通していたのは、面接開始早々から自己紹介もほどほどに『じゃ、早速ですけど、これまでにどんな仕事をしてきたのか説明してください。』と要望されたことでした。志望動機などは一度も聞かれたことはありません(汗)。

その説明の最中、面接担当のエンジニアは僕に対して様々なことを質問します。面接官はその質問の答えから僕の技術力や考察力を推し量るわけですが、そういった質問こそが面接官の『強い関心事』であるわけです。ならば、その『強い関心事』を想定した上で説明のストーリーラインを作れば、面接官にとって理解しやすく、説得力のある説明になるのではないか?

そう考えた僕は、それまでに受けた質問を思い返し、さらに自分が面接する側の立場であったらどんな質問をするか?そんな想定を交えながら質問を洗い出し、説明のストーリーラインを設計していったのです。

②ストーリーラインに基づくプレゼン資料を用意する
技術を言葉だけで説明することは、その言語が何であれ難しいものです。日本語での説明であっても難しいことがあるのに、それが英語であればなおさら難しくなってしまいます。そんな時に最も効果を発揮するのが、ビジュアル化された資料です。

このような資料において最も重要となることは、技術のエッセンスとなる部分を優先的に資料へ掲載し、できる限りシンプルにまとめることです。シンプルな概要図で全体をおおよそ理解してもらい、詳細を口頭で補足する。こんなスタイルでの技術説明を心掛けるようにしたのです。

業務説明の資料サンプル
面接の時に自分が持ちうる実力が100であったとします。しかし、それが80しかないように見えてしまうのではもったいないだけです。面接では100の実力を100の実力としてキッチリ伝えることが本当に大切です。日本人にとっては就労ビザという課題もあるだけに、こういった資料を活用して無用な損失を被らなかったことは、成功の秘訣の一つとなったように思います。

そして迎えた面接は…


僕がフォースインディアF1チームの面接を受けたのは2016年7月18日のことでした。この面接に向け、僕はほぼ全ての時間を準備に充てがいました。

迎えた面接当日。受付を済ませ、緊張しながらロビーで待っていた時のことです。日本人らしき長身の男性が僕の目の前を通り過ぎました。それはチーフデザイナーの羽下さんでした。思わず声を掛けて挨拶したところ、静かな声で『頑張ってね。』という激励を頂き、握手して頂けたことが想い出に残っています。

フォースインディアF1チームのファクトリーの看板
しばらくすると、二階から面接を担当するエンジニアの2人がロビーに降りてきました。手短な自己紹介と握手を交わした後は面接会場となる会議室へ案内され、いよいよ運命を決する面接が始まりました。この時の緊張感は…恐らく…人生で後にも先にも超えることはないであろうフェルスタッ…いえ、マックス状態だったと思います(汗)。

面接が始まったのは14時で、終わったのは18時。4時間にもおよぶ長時間の面接になったのですが、僕にとってはあっという間の時間でした。そして、僕が人生で経験した面接の中で最もワクワクできる楽しい面接となったのです。

面接対策は大きく功を奏したのですが、想定以上に効果を発揮したようで、面接というよりも面接官との技術談義となってしまったのです。質問はもはや面接官本人の知的好奇心によるものになっていました。

考えた時間∝自分の進化


面接を終えた僕はシルバーストーンを後にし、滞在先のホテルに戻りました。全身全霊のパワーを出し尽くし、精根尽き果てた僕はホテルのベッドで大の字になって寝転びました。その日の時点で確実なことは何一つありませんでしたが、僕の心の中には確固たる自信が芽生えていました。『残念で後悔するような結果にはならない』と。

フォースインディアF1チームの正門
フォースインディアF1チームとの面接に向けて僕は色々なことを考えては実践しました。その全てに効果があったとは思いませんが、『自分の進化は、考えた時間に比例する』ということを学べたように思います。

『失敗する可能性をゼロにすることはできないが、考えに考え抜いて行動すれば成功する可能性は必ず高まるはず…』

ベッドに寝転び、天井を見上げていた僕はこんなことを考えつつ、深い眠りに落ちていったのです。

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2018年6月12日

僕がF1エンジニアになるまで【第三次転職活動編①】

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F1への最後のチャレンジ


まさかの解雇通告を受けた日の翌日。失意の僕に千載一遇のチャンスが巡ってきました。それがフォースインディアF1チームからの面接の連絡でした。まさに捨てる神あれば拾う神ありです。

前回のブログでも少し書きましたが、Siemens Industry Software SASでの仕事が6ヶ月が経過した時点でF1への転職活動を再開していました。フランスでの仕事経験はたったの6ヶ月ではあったものの、転職活動再開から3ヶ月で面接に呼ばれた回数はなんと3回もありました。日本にいた頃に比べると圧倒的なペースで面接に呼ばれていたのです。やはりヨーロッパに来たことは正解だった…そう実感できました。

Circuit de Catalunya
僕のこれまでの転職活動と言えば、もはや因縁と言っても良いでしょう。"あの企業"とも、ちょっとした接点があったのですが、そのエピソードも含めて第三次転職活動で関わりのあったチームを紹介したいと思います。

HAAS F1 Team


このチームは日本人のF1ファンの皆さんにとってはお馴染みのチームでしょう。そう、チーフレースエンジニアの小松礼雄さんが有名かと思います。当時はチームの人員補強のため、積極的に採用をしていたようです。僕がこの時に応募したポジションはPerformance Engineerでした。

HAAS F1 VF-18(引用元:HAAS F1 Team公式サイト)
ある日の仕事中のことでした。僕の携帯電話が鳴りました。画面を見ると国番号+1の国際電話の着信でした。『んんんん?アメリカ?アメリカのSiemensかな?』と思い、電話に出てみると『!@#$%^&*』と怒涛の勢いで英語を話してくる女性からでした。

『あ、あのすみませんが、会社名をもう一度おっしゃって頂けます?』

と落ち着きを促すようにゆっくりとお願いすると…

『HAAS F1 Teamです。』

『あ!(…そういえば応募してたな…)』

完全に油断していました。応募した時点では『自分の経歴とは毛色の違うポジションかもなぁ…』と感じていたので、先方から連絡がくることは全く想定していませんでした。『ま、可能性はゼロじゃないし、とにかく応募してみよう』という感じでの応募だったのです。

『今から電話面接をしたいのですが…』

『え?!今からですか?!ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい(汗)!』

まさかのタイミングだったので準備らしい準備もできず、メモとペンを持ってすぐに自席を離れ、人影の少ないエレベータホールへと移動しました。今思えば『仕事中なので日を改めさせて頂けませんか?』とお願いすれば良かったかも知れません。突然の電話面接で、場所は職場を眼前にしたエレベータホール。心の準備も何もないままでの面接は、全く手ごたえがありませんでした(汗)。そして予想通り、HAAS F1 Teamとは縁がありませんでした。ここでの反省は『いつ何が起きても良いようにしっかりと準備をしておくこと』でした。

後日分かったことですが、HAAS F1チームはこの頃、イギリスのTier2ビザのスポンサー資格を持っていなかったため、いずれにせよHAAS F1チームからオファーをもらえることはなかったようです。

Williams Advanced Engineering(WAE)


F1部門ではありませんでしたが、同じ敷地内にありますし、F1への足掛かりにもなりそうだったのでWAEの採用告知も常にチェックしていました。ある日、Control System Engineerのポジションの採用が告知されたので『イケそうな気がする!』と思い、すぐに応募しました。

すると1週間ほどで面接の連絡があったのです。国内での転職活動中は何度も応募していたWilliamsでしたが、初めて面接に呼んでもらうことができました。しかも、応募してすぐにレスポンスがあったのには驚きました。

Jaguar Formula-e (引用元:Williams Advanced Engineering
ちなみにWAEではジャガーのFormula-eチームの運営を担当していますが、モータースポーツ以外にも様々なクルマの開発も受託しており、仕事内容はなかなかエキサイティングな内容でした。ちなみに面接を担当してくれた方はフランス人でしたので、面接の冒頭はフランス語を少しだけ話しました。

WAEとの面接は電話面接だったのですが、ここでも手ごたえは得られず…でした。結果も予想通りオファーに繋がりませんでした。この頃から『どうも自分の強みが相手に伝わりきっていない…』そう感じるようになり、もっと対策が必要と考えるようになりました。


Honda F1 (Milton Keynes)


はい。因縁のHondaさんです。 と、いってもHRD SakuraではなくHonda F1のイギリスでの開発拠点であるMilton Keynesのポジションへの応募でした。2016年当時は頻繁に募集がかかっていたので、内情は推して図るべし…といったところでしょうか(汗)。肝心の僕の応募の見通しとしては、僕にエンジン系の開発経験が無かったので面接に呼ばれるのはちょっと厳しいかな…と思っていました。

(引用元:motorsportsjobs.com)
で、案の定、面接には呼ばれませんでした…。ちなみに冒頭で『接点があった』と書きましたが、このポジションへの応募が接点ではありません。

実は2016年の3月のプレシーズンテストを見学するためにカタルーニャサーキットを訪れていたのですが、パドックで運良く長谷川総責任者に遭遇し、僕の履歴書を手渡しさせて頂いたのです。長谷川さんからすれば、いきなり話しかけてきた怪しげな日本人に『何なの?コイツ?』と思ったに違いません。もう2年以上前のことですし、当時はかなりの激務だったかと思うので、ご本人はもう覚えていないかも知れませんが(汗)。

今となっては良い想い出ですが、現在はホンダに深く関わる方々と家族ぐるみのお付き合いになるなど、仕事以外での繋がりで大変お世話になっています。

Scuderia Toro Rosso


え?!と思った方も少なくないと思います。この話は後日談なのですが、すでにフォースインディアで働いていた昨年のことです。トロ・ロッソとホンダの提携が公表された直後に『ウチに興味ありませんか?』とトロ・ロッソの人事から直接連絡を頂いたのです。

(引用元:Scuderia Toro Rosso公式サイト)
トロ・ロッソの開発拠点であるイタリアのファエンツァに日本人エンジニアがいると助かると考えてたのでしょう。彼らからすれば、日本語と英語の語学スキルに加え、ヨーロッパの文化にも慣れていて、技術にも明るい日本人エンジニアがいれば心強いと考えるのは自然なことです。ただ、僕はフォースインディアでの仕事に本当に満足していましたし、日本⇒フランス⇒イギリス⇒イタリアと移住を繰り返すのはさすがに無理…と思い、丁重にお断りさせて頂きました。

F1への扉を開く最後の大切な鍵


幸いなことに短期間の間で2回の面接の機会に恵まれたは良いものの、最終的に契約オファーを得るために『何か』が足りない…そう痛感するようになりました。

フォースインディアF1チームとの面接が失敗に終われば、F1への夢はその時点でゲームオーバーとなってしまいます。文字通り崖っぷちの状況でしたが、まさにこの時、ゲームオーバーとならないようにするべく、僕の意識は更なる高みへと登り詰めようとするのでした。

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2018年6月8日

僕がF1エンジニアになるまで【フランス修行編②】

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フランスでの大失敗


フランスでのエンジニア生活も半年を過ぎると、苦しみつつもそれなりの成果が出せるようになってきていました。そして、少し早いかな?と思いつつも、半年を過ぎた時点でF1チームへの就職活動も再開しました。その時の成果は第三次転職活動編で詳しく書くこととして、今回のブログでは僕が直面した『人生最大の危機』について書こうと思います。

直面した危機はこの美しい街で起きた
正直なところ、この『人生最大の危機』を書くことは自分にとって、つらくもあり恥ずかしくもあり、出来れば誰にも言わずに、ずっと心の中にしまっておきたい…というのが正直なところです。しかし、この失敗がF1入りへのキッカケとなったことも事実です。当時の自分を反省し、今後の教訓として残すため包み隠さず書こうと思います。

労働契約と僕の楽しみ


欧米では労働契約書にサインをすることで契約が成立し、その会社で働くことになります。契約書には年収、労働時間、試用期間の長さ、福利厚生、退職時の条件など様々な条項が盛り込まれています。当時の僕の契約には試用期間終了後に会社からカンパニーカーが支給される条項が盛り込まれており、他の同僚と比べると少しばかり好条件だったと思います。

この時の契約書の条項に書かれていた試用期間は9ヶ月。9ヶ月経過後に上司からのレビューを受け、その後本契約へと切り替わります。当時の僕はそのレビューが終わって本契約に移行することを楽しみにしていました。

Renault Megane
その理由はもちろん、会社から支給されるクルマです。クルマがあれば行動範囲は格段に広くなりますし(←まずはリヨン郊外にあるカートコースに行きたかった)、クルマの運転のない生活はクルマ好きには少々ツラい日々でした。

仕事でプレッシャーにさらされる日々の中『う~む、新型のメガーヌも捨てがたい…』とクルマ選びで悩むことはクルマ好きの自分にとっては良い気分転換になっていました。


そして迎えた試用期間の終了…


Siemens Industry Software SASでの9ヶ月を終えた僕は、いよいよ試用期間のレビューの時期を迎えました。このレビューには二つのステップがあり、最初は他部署マネージャによる一次レビューで、自部署のマネージャとの面談は最終レビューとなっていました。

一次レビューでは少々苦戦しましたが、どうにか最終レビューの日を迎えました。レビュー会場となっている会議室で待っていると、マネージャだけでなく部長と人事も会議室に入ってきました。『ずいぶんと厳かな出席者だな…』と思うと同時にイヤな予感がしました。

打ち合わせが始まると、僕の前に一枚の書類が提示されました。そして、レビュー早々にマネージャーが口にした言葉は…

『試用期間はこれで終了するけど、契約は更改しないことに決まったよ。』

『は…??(言葉を失う自分…)』

『契約終了の条件がここに書いてあるから内容を確認して署名してくれるかな?』

『…どういうことでしょうか?』

『会社として、君のこの9ヶ月間のパフォーマンスには満足できなかったんだ。だから、契約を打ち切るということなんだ。』

『つまり、クビ…ということですね…?』

『そうは言わないが、契約は更新できないということなんだ。』

『……。』

人生最大の危機。それは会社からの解雇でした。38歳にして人生初の解雇通告を、それも日本から遠く離れたフランスで経験してしまったのです。当然『なぜ?どうして?』という考えが頭の中を駆け巡りました。

もちろんその時は納得がいきませんでした。なぜ解雇なのか?自分のパフォーマンスのどこに問題があったのか?その時は冷静さを欠いていたこともあって全てのことが理解できませんでした。しかし、解雇は解雇です。解雇に至った理由がかなり特殊であったことは後日分かりましたが、その日は言われるがままに書類にサインをし、解雇という事実だけを持って帰宅したのでした。

現実と夢の狭間で


解雇を通告され、自宅に帰宅したその夜。

やるせない気持ち、憤りともいえる気持ちを一旦は脇に置き、すぐに次の仕事をどうするか思案し始めました。もはやF1への夢は風前の灯でした。フランスを拠点に仕事ができない以上、日本に戻ってどこかに就職する以外に選択肢はありません。

この時、最もつらかったのは妻への報告でした。せっかくチャンスをくれたのにその恩に報いるどころか、最悪な結果を伝えなくてはならなかったからです。家族のためにも、とにかく次の仕事を決めて収入を確保しなくてはなりません。もはや自分の夢をどうこう言っている余裕は全くありませんでした。

『F1への夢はもう諦める時なのかも知れない…』

しかし、ずっと追い求めてきたF1への夢。それを諦めることはこれまでに頑張ってきたことを全て自分で否定するような気がして簡単には受け入れられるものではありませんでした。

『僕はF1とは縁のない人生を送る運命の下にあって、受け入れざるを得ないのか…』

そんな思いが頭をよぎると張り裂けるような心の痛みに襲われ、強烈な葛藤の渦中で苦しみました。しかし、そんな僕の下に運命を完全に一変させる一通のメールが舞い込んできたのです。それは解雇通告を受けた翌日のことです。

それがフォースインディアF1チームからの面接の連絡だったのです。

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2018年6月3日

僕がF1エンジニアになるまで【フランス修行編①】

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フランス、リヨンでの生活がスタート


初めての海外、しかもフランスでの生活。不安がなかったと言えばウソになりますが、どうにかフランスでの生活のスタートを切りました。そして、この時の僕に与えられた時間は2年。『2年で結果が出なければ日本に戻ること』それが妻と交わした約束だったからです。

La Cité Internationale de Lyon
まさに一日一日の仕事が勝負。新しい職場でどこまで成長できるか?それによってF1への道が開けるかどうかが決まる…。そんな緊張感とプレッシャーを感じながら過ごしたフランス生活を紹介します。

ヨーロッパでの働き方とは。


フランスに限らず、これは欧米では一般的なことだと思うのですが、仕事は契約書に記載されている就労時間を"守る"のが基本です。朝9時から夕方6時まで、月曜日~金曜日まで8時間働きます。多少の時間の前後はありますが、定時になるとあっさり帰宅するのが普通です。当初、生粋の日本人サラリーマンを卒業したばかりの僕は定時退社することを無意識的に躊躇していました(汗)。

一方で、求められている成果が日本企業よりもずっと明確に示されているので、僕個人の感想としては働きやすいと感じました。限られた8時間の中でいかに効率良く成果を出すか?そのことを強く意識するようにもなりました。8時間でキッチリ仕事をこなし、仕事が終わったあとは自己研鑽やリフレッシュする時間に充てる…そういうライフスタイルの良さに気付いたのもこの頃でした。

フランスでは一人でカートを楽しんでました(汗)。
とはいえ、全く残業しないのかと言うとそんなことはありません。プロジェクトの納期が近づいて忙しさが高まると周囲のメンバーも少なからず残業していました。それでも職場は8時にもなるとガラガラ(汗)。その様子を見て『やっぱり家族との時間を大切にしているんだな…』と感じました。

家族を日本に残し、自分の夢の実現のためだけにフランスで働ている自分にとって、そんな職場の同僚を見ていると羨ましいだけでなく、家族に申し訳ないな…と感じることも度々でした。


フランスでの仕事


Siemens Industry Software SASでの僕の役職名はSenior Project Engineerでした。主にプロジェクトマネージャーとして、時にはプロジェクトのメンバーとして、AMESimのモデル開発、実証データの取得実験を計画・実行することが仕事でした。自分のデスクはLyonで、実験となるとVillefrancheというリヨン郊外の街まで赴いて仕事をしていました。

Villefrancheの拠点
この会社の規模は日産と比べると圧倒的に小さかったこともあり、多くのことを自分一人でこなす必要がありましたが、基本的に仕事の進め方は個人の裁量に寄るところが大きいのが特徴でした。仕事の進め方について、あれこれ言われることがほとんどないのです。これはとてもストレスフリーな環境でした。

最初は小さなプロジェクトから始まり、日本の自動車メーカーから海外の自動車メーカーまで、この会社に所属していた10ヶ月でいくつかのプロジェクトの仕事を任せてもらいました。この時の僕はとにかく『カスタマーのために最大限の貢献を!』というテーマで日々の仕事に精を出していました。

AMESimのメカニカル‐油圧モデル(サンプル)
具体的な仕事の内容をここに書くことはできませんが、いわゆる理工学部機械工学科で学ぶ全ての学問をフル活用するような仕事でした。機械力学、熱力学、材料力学、流体力学、制御工学などです。さらに電子電気工学の基礎に加えてソフトウェアのコーディングスキルも必要です。

狂い始めた歯車


この頃の僕は無意識のうちにプレッシャーに負けていたのかも知れません。仕事は難しかったものの楽しむこともできていましたし、カスタマーである自動車メーカーの方々にも仕事の成果は喜んで頂けていたと思います。しかし、F1に向けて先の見えない日々は僕の心を少しずつ疲れさせていたのでしょう。

『この先、僕はどうなってしまうんだろう?』

F1への可能性を求め渡ってきたフランス。家族に多大な迷惑を掛けて渡ってきた海。時として襲ってくる強烈な不安…。仕事からの帰り道、家族を思い出しながら空を見上げると滲んで見える日もありました。

Lyonの夕暮れ…
『必死で頑張らなきゃ…。』

そんな強がりともいえる僕の気持ちが原因で、僕の心の歯車が少しずつ狂い始めていたのです。そのことに当時の自分は全く気付いていませんでした。そして、Siemens Industry Software SASで働き始めて9ヶ月が経過したある日、僕は大きなミスを犯したことに気付かされ、そして人生最大の危機に直面するのです。

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