2024年5月11日

僕がF1エンジニアになってから【技術力とは積み重ね】

[前回のブログ]
[重要なお知らせ(Important notification)]

はじめに


前回のブログから更新ができておらず、すみませんでした(汗)。単に忙しかった…という言い訳もあるのですが、自分を取り巻く状況が目まぐるしく変化したため、ブログをゆっくりと推敲しながら書いている余裕が全くありませんでした。幸いなことに、現在はその目まぐるしい状況からようやく落ち着くことができました。

さて、今後については順調に行けば数週間以内にお知らせできるかなと思うので、もう少しお待ち頂ければと思います。すでに次の所属先とは契約を交わしており、諸般の事情がクリアとなり次第、SNSを通じて皆さんにご報告させて頂く予定ですので、もうしばらくお待ち頂ければと思います。

Sergio Perez@Monaco(引用元:SAHARA Force India F1 Team Official website)
それでは気を取り直して前回のブログの続きを書こうと思います!フォースインディアF1チーム、レーシングポイントF1チームでどのような仕事に取り組んでいたのか?もう少し掘り下げて解説してみたいと思います。


トリックサスペンションの技術を引き継いだリヤサスペンション


2021年までのF1マシンのリアサスペンションには、油圧・空気圧によって減衰力と保持力を発生させるシステムが導入されていました。量産車でよく見るコイルスプリング+ダンパーの組み合わせとは全く異なるシステムであり、一定の状況下で車体姿勢制御を可能とするシステムです。

このシステムはチーム毎にその構成やレイアウトは異なり、かつマシンの外側から一切見えないためF1ファンの皆さんからすれば謎のシステム。しかし幸運なことにRed BullのRB16Bではその構成部品がコックピット内に配置されていたため、その一部を垣間見ることができます。 次の写真はBさん(@brownsugar_t)のブログ(b's mono-log)より引用させて頂きました。本ブログへの写真の引用に関してご快諾頂き本当にありがとうございます!


このシステムの狙いは、サスペンションのストロークに応じて保持力を変化させることで車体姿勢を最適化することにあります。熱心なF1ファンであればRed Bullのハイレーキ角コンセプト(フロント車高→低、リヤ車高→高)をご存じかと思います。このセットアップはフロントウィングがより効果的に働くため、機敏なターンインを実現します。

一方でこの車体姿勢はリヤウィングの迎角が大きくなるために空気抵抗が上がり、最高速が伸びなくなるという欠点があります。ならば『ストレート中盤で車高が下がるようにできないか?』というアイデアから生まれたのが、このシステムです。僕の知り得る限りでは全てのF1チームがこの技術を採用していたと認識しています。

どういったシステム特性なのか?


油圧・空気圧システム回路図の詳細は秘匿事項なので、今回のブログではこのシステムの静的な特性を紹介します。次のグラフはサスペンションストロークに応じてシステムがどのように静的な力を発生しているのかを示しています。
バネ力はエアスプリングのためプログレッシブに変化します。そしてストロークがある一定値にまで達するとシステムがそれを検知してブローオフし、バネ力の勾配が一気に減少するのです。なお、ここで静的な特性としたのは減衰力を無視するためです。減衰力の調整機構も備わっており、油圧システム内には減衰力をブローオフさせることも可能です。

ここでは理論上の特性について説明しましたが、実際にそれを狙い通りに実現することは非常に難しいです。今回のブログではその難しさについても解説します。


システムモデル開発の難しさ


僕の主担当業務は、この油圧・空気圧システムのシミュレーションモデル開発と性能予測でした。この仕事の本質的な部分は、機械工学科で学ぶ基礎、つまり機械力学・材料力学・流体力学・熱力学で構成されています。エンジニアとして仕事をするようになればすぐに理解できると思うのですが、これらの学問は応用工学という点で見れば密接な繋がりがあり、F1での仕事を通じてその奥深さを痛感しました(笑)。

ではこのようなシステムモデル開発においてどういったことが難しいのか?それを列挙してみたいと思います。モデルベース開発に従事した経験のあるエンジニアなら誰しもがその扱いに頭を悩ませたであろうことは想像に難くありませんね(笑)。
  • 機械的特性
    • 機械部品摩擦によるヒステリシス
    • 摩擦による不連続性に関するシミュレーション上での対処
    • レイアウト変更による油圧部分のイナータンス変化
  • 熱によるオイル特性の変化
    • 体積弾性係数
    • 動粘性係数
  • 放熱によるエアスプリング特性の変化
    • 急激な断熱圧縮からの熱伝達
    • 雰囲気温度の上昇による定常状態の遷移
ここに挙げた様々な特性変化を静的かつ動的の両面で再現していくことがとても重要になります。なぜならば予測精度が低ければ、車体姿勢予測やタイヤの接地圧予測に大きな影響を与えることになるからです。車高1mmの違いは誤差ではありません。完全にアウト、そんな世界なのです。

そして予測精度向上のためには、各部品の特性同定試験を一つ一つ積み上げて行くしかありません。特にフォースインディアF1時代は工数も予算も限られていたので(オフィスの照明は間引きされておりちょっと暗かった思い出が脳裏に蘇ります…)、特性同定試験を一人で計画し、自分で実験をやっていました。今振り返ってみれば、これまでのF1エンジニアの生活の中で一番充実していた頃かも知れませんね。

まとめ


今回のブログでは、2021年まで使用されていたF1のリヤサスペンションシステムの簡単な紹介と、システムモデル開発の難しさについて解説しました。

レースで勝つためには、各個人の積み重ねだけでなく、チーム内での技術資産の積み重ねも大事と僕は考えています。これまでを振り返ってみると、僕が最終的にどんな場所でその積み重ねを続けていくことになるのか全く分かりませんが、これまでの経験上、想像もしない未来になることだけは間違いなさそうです(笑)。

次回のブログでは、F1での車両運動性能開発の概要を紹介したいと思います。次回更新もどうぞお楽しみに!