2018年4月14日

僕がF1エンジニアになるまで【第一次転職活動編②】

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選択肢を増やし可能性を紡ぐ…


ホンダとはまたしても縁はありませんでしたが、この転職活動によって縁のあった会社、それが日産自動車でした。 三菱自動車が僕のエンジニアとしての生みの親であるならば、日産自動車は育ての親と言えるかも知れません。

現在、F1チームで働くことができるようになったのも、日産でのキャリアがあればこそだと思っています。なぜならF1エンジニアとして求められる技術力は日産で培うことができましたし、 国際色豊かな職場が英語力によるコミュニケーション能力向上に役立ったからです。そんな日産自動車への入社は、いくつかの出会いによって紡ぎだされた縁だったのですが、 今回のブログではその経緯を紹介したいと思います。

実のところ、ホンダから残念な連絡を受けた後、僕は転職活動に少し及び腰になっていました。 日産自動車の中途採用セミナーにも参加予定だったのですが『日産はF1やってないし、セミナーに行くのもちょっと面倒だなぁ…』と思い、欠席しようか考えていました。

(引用元:日産自動車公式YouTubeチャンネル)
しかし、実際に日産自動車に入社するかどうかに関わらず、選択肢を増やすことは自分のキャリアの可能性を拡げるという意味でとても重要です。たとえ最終的に現状維持を決断するにしても、選ぶ選択肢がない状況下で決断するのか?はたまた複数の選択肢がある中で熟慮して決断するのか?後者の方が納得感がありますし、その決断が正しかったと証明するための強い動機付けが出来ます。

そこで気持ちを引き締め直し、日産自動車の内定獲得に向けて一念発起することにしました。まずは日産自動車という会社がどんな会社なのかを知るため、全日本学生フォーミュラ大会で知り合った日産自動車の知人Hさんに連絡を取り、会って話を聞かせてもらう機会を作りました。

Hさんとは横浜で会う約束をし、僕は愛知から神奈川まで出向いていきましたが、ここぞとばかりにたくさんの質問をぶつけたことをよく覚えています。 迷惑な質問も少なくなかったと思いますが、親切なHさんは一つ一つの質問に懇切丁寧に答えてくれました。

数奇な日産との縁


迎えた中途採用セミナーの当日。今となってはセミナーの詳しい内容は覚えていませんが、印象に残っているのはマネージャクラス(主担)の社員の方々と直接お話する機会があったことです。そして幸運なことに、ここでお話をさせて頂いたM主担という方が、Hさんと日産自動車の総合研究所時代に同僚だったそうなのです。

共通の知り合いがいれば、人間関係の心理的距離感が縮まるのはよくあること。まさかこのタイミングでドンピシャリ起きるとは想像もしていませんでした。 セミナー参加前に日産自動車の中途採用には応募済みだったのですが、このセミナーでの出会いがきっかけとなり、Mさんから『もう応募しているなら面接に呼ぶよう人事に手配をかけておくね』と言って頂くことができたのです。

NATC在籍時の想い出のクルマY50フーガ(引用元:Goo-net)
そして数日後、日産自動車から書類選考通過の連絡があり、無事に面接に臨むことになりました。設けられた面接の回数は2回。1回目は課長と、2回目が部長との面接でした。 その2回の面接を経て無事に日産自動車から内定を頂くことができたのですが、今振り返っても、よくまぁ採用を決断してくれたなぁ…と思います。 その実力の低さゆえ、仮に僕がN部長だったならば間違いなく採用を躊躇していたでしょう。

実は日産自動車入社後、しばらく経ってからそのN部長に採用の決め手を質問したことがあります。なぜなら風のウワサで僕の採用が〇〇〇採用だったと聞いていたからです。


衝撃の採用判断基準


僕を採用するに当たっての採用判断基準についてのウワサ。その真偽が気になって仕方のなかった僕は意を決して部長に聞くことにしました。 『あのぉ…Nさん。ちょっと気になったんですけど…僕って本当に〇〇〇採用だったんですか?!』と。 あれは…確かNATC(日産先進技術開発センター)からNTC(日産テクニカルセンター)への移動のバスの中でした。 バスに揺られながら、N部長のニコニコ顔の口から放たれた返事はこうでした。

『うん、そうそう。キャラ採用だよ(笑)!』

N部長曰く『いや~面接では本当に大きなこと言ってたよねぇ~!。まぁガッツもありそうだったし、面白そうだったから採用してみた(笑)』とのこと。

僕の記憶の中では、面接でランサーWRC05の目標性能を全然うまく説明できなかったことが印象に残っていますが、大口を叩いたという記憶は全くありません(汗)。 でも、緊張のあまり無意識的に何か壮大なことを言っていたのかも知れません。何はともれ、そんな一風変わった採用基準だったようですが(汗)、晴れて日産自動車からの内定を頂くことができたのでした。

人と人の繋がりが紡ぎだす可能性


まさかの流れで日産自動車に入社することになりましたが、本当に大切なことは自分を支えてくれる多くの人たちによって可能性が紡ぎ出されたということです。 必死にもがいている中、周囲の皆さんからの応援がなかったとしたら僕がF1の世界に辿り着くことは出来なかったでしょうから、本当に感謝の念が尽きることはありません。

(引用元:Nissannews.com)
この先のF1チーム加入に至るまで、本当に多くの人たちから応援の言葉やサポートを頂くことになったのですが、今となってはその繋がりは自分にとって大変貴重な財産になっています。 そしてその財産をずっと大切にしていくことが真に重要であることを学びました。このような、貴重な出会いと人との繋がりに助けられた第一次転職活動を経て、いよいよ日産自動車に入社することになります。

[つづきはコチラ]

【目次】僕がF1エンジニアになるまで


01. はじめに

02. 学生就職活動編①
03. 学生就職活動編②

04. 三菱自動車時代①
05. 三菱自動車時代②
06. 三菱自動車時代③

07. 第一次転職活動編①
08. 第一次転職活動編②

09. 日産自動車時代編①
10. 日産自動車時代編②
11. 日産自動車時代編③

12. 第二次転職活動編①
13. 第二次転職活動編②
14. 第二次転職活動編③
15. 第二次転職活動編④

16. フランス修行編①
17. フランス修行編②

18. 第三次転職活動編①
19. 第三次転職活動編②

20. 神様のプレゼント編

21. 完結編①
22. 完結編②

2018年4月11日

僕がF1エンジニアになるまで【第一次転職活動編①】

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伝わらぬ気持ち。


三菱自動車のWRC活動休止を受けて転職活動を決意したのですが、再びあの会社のことを考え始めます。言うまでもなく、ホンダです。この第一次転職活動では、結果的に日産に入社することになるのですが、今回はその経緯について書き綴っていこうと思います。

僕が第一次転職活動をしていた2006年当時、ホンダはF1活動の真っ最中でしたが、残念なことにモータースポーツ部門での中途採用枠はありませんでした。そのため、一旦はモータースポーツとは関係のない部署に入った上で、改めてモータースポーツ部門への異動を目指す必要がありました。そこで問題になったのが…

中途採用の志望動機欄に『F1』というキーワードを書くかどうか?

ということです。

(引用元:ホンダF1公式サイト)
そもそもホンダを志望する真の理由はF1です。正直なところ、それ以外には何もありません。正直にホンダへの志望動機を書くのであれば『F1』というキーワードを書くことになりますが、応募先のポジションがF1ではない以上『F1』というキーワードを含めずに志望動機を書かなくてはなりません。

しかし、僕は『F1』というキーワードを書くことにしたのです。もちろん、応募先のポジションを前提とした志望動機も書くのですが『いずれF1をやりたい』という想いもしっかりと書きました。

なぜF1への想いを書くことにしたのかというと、自分の気持ちに正直でありたいと思ったからです。ホンダが大好きでF1がやりたい、その気持ちを隠して志望動機を書く…自分にとっては意味が分かりません。素直な気持ちをぶつけて内定をもらうことこそ、本当の意味でホンダの社員になれるはず、そういった信念がありました。もしかしたらその想いを理解してもらえるかもしれないと考えていました。

ホンダ、再び。


しかし、僕の考えはまたしても間違っていたようです。

正直に『F1』への想いを綴ったエントリーシートが書類選考を通ることはなく、面接に呼ばれることはありませんでした。これで二度目。しかし、この結果を受けて落ち込んだかと言うとそうでもありませんでした。『やっぱり今回も同じか…』と、どこか達観してしまった気分になったのです。また、どことなくエントリーシート提出の時点で『たぶん受け入れてもらえないだろうな』と頭の片隅ではそう予感していたのです。

(引用元:ホンダF1公式サイト)
想いが強ければ強いほど、なぜか縁遠くなる。それが僕にとってのホンダという会社のようでした。けれども、縁がなかったからと言って嫌いになることもありませんし、ホンダという会社だけでなく、会社を作り上げた本田宗一郎氏と藤沢武夫氏のことも心から尊敬しています。

僕がホンダに入れなかったことには理由があるでしょうし、その理由もある程度は理解しています。ただ、一つだけ言えるのは、面接に呼ばれることもなく、話をする機会すら一度も頂けなかったことは自分にとって本当に残念で仕方なかった…ということです。


だからこそ負けられない。


この頃から、『ホンダとの縁が巡ってくることは今後ないだろう』と思うようになりました。実際に現時点でホンダとの縁はないままなのですが、そのことが僕にとってのモチベーションの源泉の一つとなりました。

(引用元:ホンダ公式サイト)
『ホンダにだけは絶対に負けられない。』こんな気持ちが芽生え、大きくなっていきました。ホンダに入ることが叶わぬのであれば、対峙する道を進んで相手を負かしてみせたい、そう考えるようになりました。 もちろん、F1に関わっていないことには勝つも負けるもありません。まずはF1にまで這い上がり、勝負を挑めるようになる必要があります。そこで、ホンダではないどこかでエンジニアとして成長し、F1チームに直接加入することを目標として自分に課したのです。

[つづきはコチラ]

※補足①
ホンダには多くの友人・知人がおり、F1に携わる方に限らず良い関係を築かせて頂いております。
※補足②
仮に自分の所属するチームが将来的にホンダからPU供給を受けるようになった場合、ビジネスパートナーとして良き関係を築く所存です。

【目次】僕がF1エンジニアになるまで


01. はじめに

02. 学生就職活動編①
03. 学生就職活動編②

04. 三菱自動車時代①
05. 三菱自動車時代②
06. 三菱自動車時代③

07. 第一次転職活動編①
08. 第一次転職活動編②

09. 日産自動車時代編①
10. 日産自動車時代編②
11. 日産自動車時代編③

12. 第二次転職活動編①
13. 第二次転職活動編②
14. 第二次転職活動編③
15. 第二次転職活動編④

16. フランス修行編①
17. フランス修行編②

18. 第三次転職活動編①
19. 第三次転職活動編②

20. 神様のプレゼント編

21. 完結編①
22. 完結編②

2018年4月1日

僕がF1エンジニアになるまで【三菱自動車時代③】

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待望のMS部への異動


ボデー設計部での仕事にも慣れ、コルトへの光軸オートレベリング機能の搭載設計もおおよそ完了した頃、いよいよ待望の人事異動が上司より通達されました。念願のモータースポーツ部への異動です。2005年4月のことでした。所属先はラリー車両開発チームで、WRC参戦車両であったランサーWR05の性能解析や、次期新型車両の先行検討を担当することになりました。

ランサーWR05(引用元:三菱自動車公式サイト)
しかし、意気揚々な気持ちで異動はしたものの、またしても大きな壁にぶつかるのです。今度は『世界レベル』の壁でした。今となってはその壁も大して高くなかったなぁ…と振り返ることができますが、当時の僕にとっては気が遠くなるような高さだったことをよく覚えています。

車両運動CAEエンジニアとして


自分のエンジニア生活を振り返ってみると、本当に様々な範囲の技術に携わってきたなぁという実感があります。今となっては車両運動性能開発は自分のコア・コンピテンシーとなりましたが、ラリー車両開発チームに加入したことにより、この技術領域に初めて携わることになりました。

この時にMATLAB/Simulinkというソフトウェアを初めて使うことになります。今日では自動車業界に限らず多くの業界で使われており、MATLABなくして技術開発は不可能とまで言われるほどに重要なソフトウェアです。新しい職場での新たな仕事は、このソフトウェアを駆使して車両運動モデルを独自に開発することと、車両に搭載されているコンポーネントの事前性能検証を可能にするCAE環境の構築でした。

(引用元:MathWorks社公式サイト)
少し余談になりますが、将来モータースポーツで車両運動系エンジニア(Vehicle Dynamics Engineer, Performance Engineerなど)や制御システム系エンジニアになりたい人は、MATLAB/Simulinkのスキルを早い段階で習得しておくことを強くお勧めします。このスキルがあれば採用に有利になる…というよりも、むしろ必須スキルと言っても過言ではありません。

また、学生フォーミュラでもこのソフトウェアは有効に活用できると思います。モデル構築に始まり、計測した車両データのポストプロセス(計測後データ処理)など多岐に渡った用途に適用可能ですので、ぜひ参考にしてください。僕もこのMATLAB/Simulinkを駆使して様々なコードを作り、日々のデータ解析業務に活用しています。

立ちはだかった世界レベルの壁


学生時代にプロのレーシングドライバーを目指してカートに没頭する日々だった自分にとって、海外留学など世界に目を向けることは全くしていませんでした。当然、アルバイトで稼いだお金は全てカートへ…。社会人になって世界を意識するようにはなったものの、一度も海外に行ったことがありませんでした。

異動して職場でも落ち着けるようになった頃、上司は『MMSP(Mitsubishi Motor Sports Ltd.)に来て現地エンジニアと打ち合わせをして欲しい』という指示を僕に出しました。当時の上司はイギリスの開発拠点であるMMSPに駐在中で、開発の最前線を見ておいた方が良いと判断したのでしょう。

自分にとって初の海外、しかも単独での海外出張となったのです。TOEICの点数もその頃には600点台後半になっており、何とかギリギリやれるかなというレベルでしたが、海外渡航経験がなかったため一気に緊張感が高まりました。

(著者撮影:MMSPの社屋)
モータースポーツ部在籍中に延べ二回MMSPを訪問するのですが、一度目はどちらかというと現地エンジニアとの情報交換がメインで、二度目は日本側の開発方針を説明するというタスクでした。たった二度の訪問だったのですが、現地エンジニアのレベルの高さ、特に同年代のエンジニアとの実力差に愕然としました。全てにおいて自分が勝る部分が見当たらないのです。

欧米と日本で教育や就職の取り組みが大きく異なっていることも実力差の要因の一つだったのですが、それを言い訳にしても始まりません。とにかく彼らに追いつかねばならない、彼らの強みをとにかく地道に吸収していくほかない。そうした決意を持って出張から日本に戻ったのでした。

自分にとってこの出張は世界レベルを見る本当に良い機会になりました。当時の上司が僕に出張の機会を与えてくれたこと、今でも本当に感謝しています。ちなみに当時知り合った同年代のエンジニアとは今でも交流があり、そのうちの一人はSuper Aguri F1、Manor F1を経て現在はMercedes AMG HIGH PERFORMANCE POWERTRAINSでF1のPU開発に従事しています。


三菱WRC活動の休止


ラリージャパンの開催や、徐々に成果の出つつあった三菱のWRC活動でしたが、その活動にも終止符が打たれる時が訪れました。2005年の最終戦オーストラリアラリーの後、三菱自動車は次期型ランサーでのカムバックを目指すため、WRCワークス活動の休止を宣言したのです。当時、実際にどのような論議が起こっていたのかをこのブログに書くことはできませんが、最終的に僕が下した決断は三菱自動車を去ることでした。

(引用元:三菱自動車公式サイト)
三菱自動車に残るという選択肢ももちろん考えていました。近い将来、三菱自動車がWRCに戻ってくる可能性もゼロではありませんでしたし、WRCでなくとも何らかの形で再びモータースポーツの世界に戻ってくるだろうとは思っていました。

それをずっと待ち続けることが果たして最良の選択となりうるのか?そしてエンジニアとして未だ半人前である自分が、より成長するために進むべき道は何なのだろうか?と、ずっと自問自答を続けました。そもそも三菱自動車に入社したのは世界レベルのモータースポーツにエンジニアとして関わることです。それが叶わないのであれば、自分をより成長させてくれる環境に移った方が良さそうだ…と思い始めました。

この時学んだこと。

それは、日本の自動車メーカーのモータースポーツ活動は会社都合によって簡単に方針が変わってしまうため、モータースポーツのキャリアを計画的に積むことが難しいということです。自分自身の意思でどうにもできない部分があまりに大きいのです。

このような状況を回避するための最良の選択、それはヨーロッパに渡り、モータースポーツ関連の会社に転職することです。しかし、当時の僕にそんな実力がないことは痛いほど理解していたので、エンジニアとしての成長が最も見込める場所をまずは国内で探し求めることにしたのです。

[続きはコチラ]


【目次】僕がF1エンジニアになるまで


01. はじめに

02. 学生就職活動編①
03. 学生就職活動編②

04. 三菱自動車時代①
05. 三菱自動車時代②
06. 三菱自動車時代③

07. 第一次転職活動編①
08. 第一次転職活動編②

09. 日産自動車時代編①
10. 日産自動車時代編②
11. 日産自動車時代編③

12. 第二次転職活動編①
13. 第二次転職活動編②
14. 第二次転職活動編③
15. 第二次転職活動編④

16. フランス修行編①
17. フランス修行編②

18. 第三次転職活動編①
19. 第三次転職活動編②

20. 神様のプレゼント編

21. 完結編①
22. 完結編②